最新リリース
- 2023年11月29日
- 17曲
- ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2,3番 · 1994年
- ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2,3番 · 1994年
- ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2,3番 · 1994年
- プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 / ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調、夜のガスパール · 1974年
- ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2,3番 · 1994年
- ブラームス:ハンガリー舞曲集 · 1983年
- Mozart: Flute Concertos Nos. 1, 2 & Concerto for Flute & Harp · 1997年
- ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2,3番 · 1994年
- ブラームス:ハンガリー舞曲集 · 1983年
- プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 / ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調、夜のガスパール · 1974年
必聴アルバム
- 音楽史きっての大天才、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)は、35歳の若さで他界するまでに数多くの交響曲、オペラ、室内楽を世に残した。11歳で初めてピアノ協奏曲を作曲したモーツァルトは、1785年に自身の作品の中で最も有名となる二つの協奏曲、“ピアノ協奏曲第20番(Piano Concerto No. 20)” と “ピアノ協奏曲第21番(Piano Concerto No. 21)” を作曲した。オーストリア出身のピアニスト、フリードリヒ・グルダはこの二つの協奏曲を明確に解釈し、厳格なリズムの精密さと、ウィーンの詩的で切ない雰囲気を醸し出すことに成功した。1974年と1975年に収録されたこの二つの演奏には、クラウディオ・アバドが指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が加わり、過去最高の出来映えと称される作品に仕上がっている。
- 2023年
- 2023年
アーティストプレイリスト
- 世紀末から新世紀にかけてのクラシック音楽界をけん引。緻密な楽譜分析から生み出された美しい新境地の数々。
- 2016年
クラウディオ・アバドについて
寡黙なことで知られた指揮者クラウディオ・アバドは、通常は言葉で指示を出すリハーサルにおいても、その表情豊かな指揮で、自身が求める楽器の色合いやフレージング、解釈をオーケストラに伝えた。彼が最も得意としたのは、ムソルグスキー、ヴェルディ、プロコフィエフ、ドビュッシーといった作曲家たちの作品を生き生きと描き出すことであり、またシューベルトやメンデルスゾーン、そして何よりもマーラーの叙情的な交響楽の流儀に親しみを持っていた。1933年、ミラノの音楽一家に生まれたアバドは、コンサートでドビュッシーの繊細で魅惑的な『夜想曲』(1892〜1899年)を聴いて、指揮者になることを決意する。しかし彼の好みの範疇にはもっとくっきりとした印象の音楽もあり、1959年に初めて指揮したオペラは母国イタリアの定番レパートリーではなく、プロコフィエフによるシュールで遊び心にあふれた『The Love for Three Oranges』(1921年)だった。シャイな性格のアバドではあったが、その音楽家としての真摯(しんし)な姿勢によってロンドン交響楽団やミラノ・スカラ座などの著名なオーケストラやオペラカンパニーにおいて、首席指揮者や芸術監督といった要職に就いた。スカラ座ではLuigi Nonoのような現代音楽の作曲家の作品も積極的に取り上げながら、オペラやバレエの公演だけではなく、独立したスカラ座フィルハーモニー管弦楽団としてコンサートを開催できるようにオーケストラを育て上げた。またウィーン国立歌劇場の音楽監督やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督なども歴任。さらにアバドは才能ある若手演奏家で構成されるいくつかのオーケストラを自ら設立し、そこからヨーロッパ室内管弦楽団やマーラー・チェンバー・オーケストラなどが派生していった。アバドは2014年に亡くなったが、優れた音源やオーケストラのエリート演奏家といった素晴らしいレガシーを遺した。
- 出身地
- Milan, Italy
- 生年月日
- 1933年6月26日
- ジャンル
- クラシック