

キャリアの初期に大成功を収めた後、当時20代だったサイモン・ラトルは今後の展開について尋ねられた。「勉強する時間さえあれば大丈夫です」と彼は答えた。「ただ、時間を味方につけても、使い方を間違ってはいけません」。それ以来、このイギリス人指揮者が時間を無駄にしたと非難する者はいない。バイエルン放送交響楽団の現職首席指揮者として70歳の誕生日を迎えた彼は、これまでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と芸術監督、ロンドン交響楽団の首席指揮者と音楽監督など、クラシック界の数々の要職を歴任してきた。 1955年の1月にリバプールで生まれたラトルは、1974年のジョン・プレイヤー国際指揮者コンクールで優勝してセンセーションを巻き起こし、19歳の若さで最初のプロ契約を勝ち取った。1980年にはバーミンガム市交響楽団に着任し、その後18年をかけて、同楽団を地方の優秀な楽団から世界的アンサンブルへと押し上げた。ラトルのバーミンガム在任中、同オーケストラは新たにオープンしたシンフォニー・ホールに本拠地を移し、このホールから、ジャネット・ベイカーと共演したエルガーの『ゲロンティアスの夢』の卓越したパフォーマンスや、シマノフスキの『スターバト・マーテル』の力強い雰囲気の演奏などを収録した、画期的な音源を世に送り出した。 1999年、ラトルはベルリン・フィルの楽団員たちの投票によって、首席指揮者に任命されることが決まった。その3年後に就任したラトルは、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーといった作曲家たちによる同オーケストラの定番曲に、アデス、シベリウス、ヴォーン・ウィリアムズの作品を加えた。2017年にロンドン交響楽団の音楽監督として母国に戻ったラトルは、ヤナーチェクの『カーチャ・カバノヴァー』、クリスチャン・ツィメルマンと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲録音、ブリテンの『春の交響曲』の活気あふれる演奏などによって、このオーケストラの伝説的なディスコグラフィをさらに充実させた。 ラトルが指揮者としていかに高く評価されているかは、彼が客演指揮者として共演してきたオーケストラのラインナップを見てもよく分かる。ベルリンでの活動を始める前には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と共にベートーヴェンの全交響曲を録音している。また、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と、ラトルの妻でもあるメゾ・ソプラノ歌手マグダレナ・コジェナーとの歌曲のアルバムや、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やグラインドボーン合唱団と録音したジョージ・ガーシュウィンのオペラ『ポーギーとベス』も高い評価を受けている。