100 Best Albums
- 2004年3月23日
- 21曲
- Confessions (Expanded Edition) · 2004年
- Love Songs · 2003年
- Raymond v Raymond (Expanded Edition) · 2010年
- Good Good - Single · 2023年
- Standing Next to You (USHER Remix) - Single · 2023年
- COMING HOME · 2024年
- The Fast and the Furious Soundtrack Collection · 2012年
- Confessions (Expanded Edition) · 2004年
- Confessions (Expanded Edition) · 2004年
- 8701 · 2001年
必聴アルバム
- 2004年を振り返ったとき、アッシャーの4作目のスタジオアルバム『Confessions』がどこに行っても聞こえてきたことを思い出す。この作品はアッシャー・レイモンドの最終形態だ。トップクラスのプロデューサーから守られ、導かれてきた若きアイドルを卒業して、アッシャーはついにアーティストとしての全盛期に達した。 タイトルトラック「Confessions」でアッシャーは自らの不貞行為を認めて聴き手を虜(とりこ)にし、続編となる「Confessions, Pt. II」では浮気相手が妊娠3か月だと判明するさらなるドラマが描かれて大ヒットシングルになった。そして物語を締めくくる「Burn」での彼は、自ら壊した関係が終わってしまったことの悲しみを隠さない。 そんな哀れを誘う3部作を別にしても、『Confessions』には大ヒット曲がいくつもある。リル・ジョンやリュダクリスと組んだ「Yeah!」は、当時のアトランタの音楽シーンの陽気で活気がある雰囲気を見事に捉え、アリシア・キーズと共演した「My Boo」は2000年代屈指のデュエット曲になった。21世紀において『Confessions』ほどのステータスを勝ち得たアルバムはほとんど存在しないといえるが、後に続こうと挑んだ作品が次々と生まれてきたところに、その影響の大きさが如実に表れている。
- 1990年代にアメリカ屈指の若手R&Bシンガーとしてアイドル的な人気も集めたアッシャーは、2001年に20代になって初めてのアルバムである、3作目の『8701』をリリースした。そんな新たな節目とともに生まれたのは、彼がそれまで情熱的に追い求めてきた恋愛には、いい時もあれば悪い時もあると分かり始めてきた若者の体験を事細かに描いた音楽だった。 不規則なコード進行が印象的なリードシングル「U Remind Me」で、アッシャーは夢中になれそうな相手を見つけるが、自分をひどい目に遭わせた元カノと似ていることで興味を失くしてしまう。「U Got It Bad」では、かすかなアコースティックギターに乗せて、ささいなことでの激しい口ゲンカが熱い恋心に変わるような混乱した恋愛の葛藤がつづられている。説得力のある歌詞は、こうした曲が実際の体験から生まれたものだと感じさせるが、このアルバムの魅力は彼が傷心のベテランであるところにとどまらない。 『8701』には、聴いた瞬間にライトに照らされ、汗と熱気でかすむダンスフロアに身を置いた気分になれる曲もいくつかある。例えば「I Don’t Know」では、ザ・ネプチューンズが手掛けるキラキラしたシンセを大量に取り入れながら、ディディがラップで語り掛け、アッシャーの天使のようなファルセットが新たな局面を切り開くという、何度も聴き返したくなる曲だ。「Good Ol’ Ghetto」のプロダクションにはスウィングとファンクが織り交ぜられ、8Ball&MJGやUGKといった当時アメリカ南部のヒップホップシーンをにぎわせたアーティストのスムーズなスタイルを演じてみせる。『8701』は、初期の段階で必要なツールをすべて装備した上で、今やより強固なものとして具体化する準備ができたアーティストという、アッシャーの未来像を見せつける作品なのだ。
- 1994年にリリースされたセルフタイトルのデビューアルバム『Usher』は、一人のアーティストがリアルタイムで自身のサウンドを模索しているように感じられた。その3年後、アッシャーは低くなった声と、少年っぽい丸みが取れたアゴのライン、そして、アトランタの名プロデューサー、ジャーメイン・デュプリが示す音楽の方向性とともに復活。後に親しみを感じるようになった、あのアッシャー・レイモンドが世界に知られるようになった。デュプリとR&Bの巨匠ベイビーフェイスがプロデュースを手掛けたセカンドアルバム『My Way』は、よりフィットしたシルキーなアレンジに置き換えられ、劇的な変化がもたらされた。「あのファーストアルバムの後、自分のやり方で物事を進めたいと強く決心した」とアッシャーは2022年にApple MusicのEstelleに語っている。彼はそのためのインスピレーションと検証を、他の誰でもないフランク・シナトラに見いだしたのだという。「彼が自分のストーリーを語るのを聞き、『おい、聞いてくれ。良くも悪くも、それが何であれ、私は私のやり方(my way)でやったんだ』と表現するのを聞いた。俺にとって、あれは16、7歳の自分の人生のようなものだった。それはまるで俺が必要としていた許可のようだった。だから、『このアルバムは“My Way”と名付けたい。自分が誇りに思えるものにしたい』と思った」1980年代にベイビーフェイスがMidnight Starのために書いた官能的なバラード「Slow Jam (feat. Monica)」のカバーには、同じく当時10代の天才R&Bシンガー、Monicaがフィーチャーされた。また、「Just Like Me」にリル・キムが登場したことは、アッシャーに力強さをもたらした。「Nice & Slow (Radio Version)」の優しいファルセットや、アドリブとして機能したギターのかき鳴らし、ドラマチックな荒い息づかいは、カセットプレーヤーのヘッドフォンやラジオのスピーカーを通して、10代の少女たちの心を溶かした。中でも最も誘惑的だったのは、アッシャーが自分の名前のスペルを読み上げたことだろう。「何か自己紹介ができるものを探していた」と彼は言った。「だから、『彼らは俺をU-S-H-E-R R-A-Y-M-O-N-Dと呼ぶ、というように、自分の名前のスペルを読み上げる曲を作りたい』と話した。それはスヌープの『Snoop Dogg』やエミネムの『My Name Is』のようなものだった。俺にとっては、世界中の人々が祝福してくれる、R&Bの名曲に乗せた世界への自己紹介だった」『My Way』の全曲を通して、アッシャーは、数年前に見せていたポテンシャル以上の存在であることを証明してみせた。自身の声を見いだしてから20年以上が経過し、アッシャーはこのアルバムが自身だけでなく、音楽全般において意味していたことを明確に理解できるようになった。「R&Bは、それが本格的なヒップホップであれ、ロックンロールであれ、何であれ、他のすべての分野で俺たちを助けてくれる」と彼は語った。「俺のバージョンのR&Bは、そういったすべてのもののコンビネーションだ。もし曲の中でロックギターが聞こえたとしても、ロックソングにはならない。それはロックソロなんだ。もし曲の中でラップが聞こえたとしても、ラップソングにはならない。それは新しい武器であり、より大勢のオーディエンスとつながる曲になるんだ。だから、『My Way』は俺の翼を広げ、自分がインスピレーションを得たものを探求する機会を与えてくれた」
アルバム
- 2016年
- 2008年
- キャッチーかつダンサブルなサウンド。情熱的な歌声が体の隅々まで響き渡る。
- アメリカのトップR&Bシンガーソングライターによる代表曲を映像でチェック。
- アッシャーがハーフタイムショーを前に、気分を盛り上げる曲をシェア。
- アッシャーがSuper Bowl LVIIIで披露した全曲をスタジオバージョンで。
- R&B界が生んだ万能のエンターテイナー。その系譜に連なるアーティストたち。
- ポップ/R&Bシーンで長く走り続けるアーティストからパワーをもらおう。
ライブアルバム
- Marshmello, Imanbek & Alle Farben
- Marshmello & Imanbek
アッシャーについて
2001年9月のあの夜ほど、アッシャーのキャリアを決定づけた瞬間はない。完売になったマディソンスクエアガーデンのステージで、彼はマイケル・ジャクソンと向かい合い、一緒に踊った。アッシャーが踊ればマイケルがそれに続き、代わる代わるにダンスした。「気に入ったよ!」とマイケルがアッシャーを指さしながら言うと、アッシャーも「僕もです!」と指をさし返した。結局のところ、マイケル本人を除いてマイケルに一番近い存在はアッシャーかもしれない。ジャンルも客層も超えて愛されるシンガーであり、ソングライターであり、そして俳優で、ダンサーで、完璧なパフォーマーでもある。30年間ずっとスポットライトを浴び続け、ポップスターとして勢いが衰える兆しも見せない。1978年に生まれたアッシャー(本名Usher Raymond IV)は、テネシー州チャタヌーガとジョージア州アトランタで育った。10歳の時にキャリアをスタートし、アトランタ界隈のタレントショーにたびたび出演しては腕を磨いた。人気オーディション番組『Star Search』の1991年ごろの映像には、ボーイズⅡメンの「End of the Road」を歌い、ファンの波をかき分けて進む彼の姿がある(彼は後に「ど素人だったよ」と冗談を言っている)。このパフォーマンスのほぼ直後に、彼はTLCやトニ・ブラクストンが所属するLaFace Recordsと契約を結ぶ。セルフタイトルのデビューアルバムを発表した時はまだ15歳だった。その後、2004年のクラブミュージック「Yeah!」、同年のバラード「Confessions, Pt. II」、誰もが認める人気を博した2008年のジャンルレスなアンセム「Love in This Club」、そして2012年には新境地のR&B「Climax」など数々のヒットを放ち、ポップシーンで向かうところ敵なしの存在になった。さらに、TLCのチリとの別れがインスピレーションになったといわれる2004年発表のアルバム『Confessions』は、プラチナムを超えダイヤモンドアルバムに認定される。そして2010年発表の「Omg」で、30年間連続で全米1位シングルを出した史上5人目のアーティストとなった。アッシャー以前にこの偉業を達成したのは、何を隠そうマイケル・ジャクソンである。2018年には40歳のバースデーに合わせて9作目のアルバム『"A"』を発表した。音楽だけでなく、テレビ、映画、ブロードウェイで俳優としても活躍し、NBAのクリーブランドキャバリアーズの共同オーナーも務める。また、若きジャスティン・ビーバーを指導し、人気テレビ番組の『American Idol』と『The Voice』にも出演。その傍らで、さまざまな慈善活動にも定期的に参加し続けている。2011年には、メンフィスにあるナショナル・シビルライツミュージアム(国立公民権博物館)から、平等な権利を守り市民権運動の精神を表す個人をたたえるフリーダムアワードを授与された。
- 出身地
- United States of America
- 生年月日
- 1978年10月14日
- ジャンル
- R&B/ソウル