My Way (25th Anniversary Edition)

My Way (25th Anniversary Edition)

1994年にリリースされたセルフタイトルのデビューアルバム『Usher』は、一人のアーティストがリアルタイムで自身のサウンドを模索しているように感じられた。その3年後、アッシャーは低くなった声と、少年っぽい丸みが取れたアゴのライン、そして、アトランタの名プロデューサー、ジャーメイン・デュプリが示す音楽の方向性とともに復活。後に親しみを感じるようになった、あのアッシャー・レイモンドが世界に知られるようになった。デュプリとR&Bの巨匠ベイビーフェイスがプロデュースを手掛けたセカンドアルバム『My Way』は、よりフィットしたシルキーなアレンジに置き換えられ、劇的な変化がもたらされた。「あのファーストアルバムの後、自分のやり方で物事を進めたいと強く決心した」とアッシャーは2022年にApple MusicのEstelleに語っている。彼はそのためのインスピレーションと検証を、他の誰でもないフランク・シナトラに見いだしたのだという。「彼が自分のストーリーを語るのを聞き、『おい、聞いてくれ。良くも悪くも、それが何であれ、私は私のやり方(my way)でやったんだ』と表現するのを聞いた。俺にとって、あれは16、7歳の自分の人生のようなものだった。それはまるで俺が必要としていた許可のようだった。だから、『このアルバムは“My Way”と名付けたい。自分が誇りに思えるものにしたい』と思った」1980年代にベイビーフェイスがMidnight Starのために書いた官能的なバラード「Slow Jam (feat. Monica)」のカバーには、同じく当時10代の天才R&Bシンガー、Monicaがフィーチャーされた。また、「Just Like Me」にリル・キムが登場したことは、アッシャーに力強さをもたらした。「Nice & Slow (Radio Version)」の優しいファルセットや、アドリブとして機能したギターのかき鳴らし、ドラマチックな荒い息づかいは、カセットプレーヤーのヘッドフォンやラジオのスピーカーを通して、10代の少女たちの心を溶かした。中でも最も誘惑的だったのは、アッシャーが自分の名前のスペルを読み上げたことだろう。「何か自己紹介ができるものを探していた」と彼は言った。「だから、『彼らは俺をU-S-H-E-R R-A-Y-M-O-N-Dと呼ぶ、というように、自分の名前のスペルを読み上げる曲を作りたい』と話した。それはスヌープの『Snoop Dogg』やエミネムの『My Name Is』のようなものだった。俺にとっては、世界中の人々が祝福してくれる、R&Bの名曲に乗せた世界への自己紹介だった」『My Way』の全曲を通して、アッシャーは、数年前に見せていたポテンシャル以上の存在であることを証明してみせた。自身の声を見いだしてから20年以上が経過し、アッシャーはこのアルバムが自身だけでなく、音楽全般において意味していたことを明確に理解できるようになった。「R&Bは、それが本格的なヒップホップであれ、ロックンロールであれ、何であれ、他のすべての分野で俺たちを助けてくれる」と彼は語った。「俺のバージョンのR&Bは、そういったすべてのもののコンビネーションだ。もし曲の中でロックギターが聞こえたとしても、ロックソングにはならない。それはロックソロなんだ。もし曲の中でラップが聞こえたとしても、ラップソングにはならない。それは新しい武器であり、より大勢のオーディエンスとつながる曲になるんだ。だから、『My Way』は俺の翼を広げ、自分がインスピレーションを得たものを探求する機会を与えてくれた」

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