ポーランド出身の偉大なピアニスト、クリスチャン・ツィメルマンが1989年にベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲を初めて録音したとき、ウィーンで行われたレコーディングは技術的な問題に悩まされた。「ウィーン楽友協会の壁にカーペットが貼られていたことで、音の響きが完全に損なわれてしまっていたのです」とツィメルマンはApple Musicに語る。そして、追い打ちをかけるように悲劇が起こる。このレコーディングでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮していたレナード・バーンスタインが、制作の途中で亡くなってしまったのだ。それでもツィメルマンはあきらめず、残る『第1番』と『第2番』を自ら弾き振りして録音した。それから三十数年という時を経て、ベートーヴェン生誕250年の年、ツィメルマンにこれらの協奏曲を改めて録音するチャンスが訪れた。「ロンドン交響楽団の音楽監督であるサイモン・ラトルに、何が何でももう一度やらなければならない、と話しました」とこの名ピアニストは振り返る。「彼はすぐにイエスと言ってくれて、ロンドン交響楽団と一緒に録音することを提案してくれました。彼は素晴らしい人物であり、私の大親友でもあります。彼は私のどんなアイデアにも基本的に同意してくれるのです」その後、パンデミックが起こってしまった。検疫のため、ツィメルマンはキャンピングカーで数週間寝泊まりすることを余儀なくされた(「ボーイスカウトみたいな気分でしたよ!」と彼は当時を振り返る)。ソーシャルディスタンスを保ちながら自分のピアノのそばにいるためにはそうするしかなかった。レコーディングセッションでも、距離を保つためにオーケストラの団員がLSO St Luke’s(聖ルーク教会を改修し、ロンドン交響楽団がコンサートやリハーサルに使っている建物)の全エリアに広く散らばる必要があった。「それぞれの楽器のセクションが均一に響くようにすること、統一感のある音色で聞こえるようにすることが、とても難しいのです」とツィメルマンが言うように、この状態での演奏はかなりの困難を伴った。しかし、同時にそれは「本当に素晴らしい体験でした」と彼は言う。「まるでスケールの大きな室内楽のようで、楽団員全員が音楽を共有していたのです」。このアルバムにおいてツィメルマンが重要視していたのは、いったい19世紀初頭の音楽はどのような響きを持っていたのか、ということ。その音にできる限り近づけるため、彼は特注の4つの鍵盤をレコーディングに持ち込んだ。それらはLSO St Luke’sにあるスタインウェイのグランドピアノのボディにはめ込むことができるようになっている。そして、その一つ一つの鍵盤が、ツィメルマンがくみ取ったベートーヴェンの狙い、つまり、それぞれの協奏曲における技術的な挑戦や音の微妙な違いに、理想的に対応しているのだ。ここからは、この名ピアニストが自ら、ベートーヴェンの偉大な5つの協奏曲について解説してくれる。Piano Concerto No. 1 in C Major, Op. 15 / Piano Concerto No. 2 in B-Flat Major, Op.19私は『第1番』と『第2番』を別のものとして捉えていません。とてもよく似たスタイルを持っていると思います。これらの曲を書いたとき、ベートーヴェンはまだ若者でしたが、若者が抱える悩みというのは現代においても何も変わっていません。まだ親に反抗する年頃であり、それが音楽にも表れているのです。例えば『第2番』には、おどけたような場面が至るところにあります。最終楽章の最後のところには、サイモン・ラトルに「できる限りおっちょこちょいな感じで演奏したい。ここでは行儀よくしないで。とにかくめいっぱいばかげた演奏をして!」と伝えた箇所があります。実際『第1番』と『第2番』の最終楽章では、音楽的ユーモアとジョークが輝いているのです。『第1番』は長大な作品です。非常にシリアスでありながら同時にユーモアにもあふれていて、第2楽章はロマン派の作曲家の作品の中で最も感動的なものの一つです。ベートーヴェンはこの曲を書いているとき、すでに明確にロマン派だったのです。Piano Concerto No. 3 in C Minor, Op. 37この協奏曲の第1楽章の冒頭で、サイモン・ラトルに「この曲は岩石のようなものにしたいのだけれど、美しく磨かれた岩石ではなくて、花こう岩のようにしたい」と伝えたのを覚えています。楽章の終盤に近いところのカデンツァの最後の部分では、曲がとても怖い雰囲気になります。一方で第2楽章は教会のミサで演奏されてもおかしくありません。私の知る限り、ベートーヴェンの作品の中で最も温かみにあふれたものの一つであり、宗教的ですらあります。そして第3楽章はとてもウィットに富んでいます。私はいくつかの箇所で、あえて非常に速いテンポで演奏しています。Piano Concerto No. 4 in G Major, Op. 58第1楽章がソロピアノで幕を開けるなど、この協奏曲には画期的なアイデアが多く盛り込まれています。リスナーはオーケストラの総奏を期待しますが、当然そうはなりません。その代わりにピアノが即興的な演奏を始めるのです。そのため、この曲はどこに向かっているの? なぜ? ベートーヴェンはここで何を伝えようとしているの? と初めて聴く人にとっては衝撃的です。そしてこの第1楽章にもまた、信じられないほど素晴らしいカデンツァがあって、その最後の音は私にとって音楽の歴史の中で最も感動的な瞬間の一つです。それはとても美しく、とてつもなく温かいものなのです。それはずっと恋人が見つからず、内なる欲求を満たすことができないベートーヴェンの苦悩を描いています。まさにリスナーの涙を誘う場面です。そして、第2楽章。これは伝統的な緩徐楽章ではなく間奏曲であり、キリストがピラトに話しかけているような2人の人間の討論になっているのが衝撃的です。まるで音楽の衝突とでも言いましょうか。最終楽章は再び喜びにあふれ、もう一度オーケストラとピアノが拮抗(きっこう)します。ここにはウィットとユーモアがあふれています。Piano Concerto No. 5 in E-Flat Major, Op. 73 “Emperor”『第5番 皇帝』は全くの別物です。これまでの4つの協奏曲と比べて、格段にモダンなものになっています。これはピアノを用いた交響曲であり、同時にピアノがオーケストラのようでもあるのです。この協奏曲をサイモン・ラトルとレコーディングできたことは、素晴らしい経験となりました。第2楽章は19世紀に書かれた中で最も偉大な曲の一つで、非常に高い人気を誇っています。最終楽章は楽しげで喜びにあふれていますが、ここでは、高貴な人が、感じよく洗練されたジョークを言っているときのような、上品な喜びなのです。
- 1998年
- ダニエル・バレンボイム, マルタ・アルゲリッチ, マイケル・バレンボイム, キアン・ソルターニ & シュターツカペレ・ベルリン
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 & ベルナルト・ハイティンク
- ダニール・トリフォノフ
- ダニエル・バレンボイム & シュターツカペレ・ベルリン
- フィルハーモニア管弦楽団 & ウラディーミル・アシュケナージ