はじめての アントニン・ドヴォルザーク

はじめての アントニン・ドヴォルザーク

チェコ国民楽派の巨匠アントニン・ドヴォルザーク。まだ若く生活苦に苛まれていた1875年、オーストリア政府の奨学金制度に合格し、当時の2倍以上の年収を授与された。その審査員には評論家のエドゥアルト・ハンスリックや、作曲家のヨハネス・ブラームスがいた。特にドヴォルザークのメロディメーカーとしての才能を高く評価したブラームスは、音楽出版社のジムロックに彼を紹介。それがきっかけで「スラヴ舞曲集」 が生まれた。1892年には音楽院の院長としてアメリカに渡り、現地の音楽に触発されて「交響曲第9番 "新世界より"」や「弦楽四重奏曲第12番 "アメリカ"」などの傑作を生み出している。

国または地域を選択

アフリカ、中東、インド

アジア太平洋

ヨーロッパ

ラテンアメリカ、カリブ海地域

米国およびカナダ