オットー・クレンぺラー

最新リリース

アーティストプレイリスト

オットー・クレンぺラーについて

リハーサルにおいても本番においても、いつも気まぐれで、時には恐ろしいほどの不機嫌さをあらわにしたオットー・クレンペラーは、同時に強烈なまでの理想主義者でもあった。1885年に当時のドイツ領ブレスラウ(現在のポーランドのヴロツワフ)でユダヤ人の両親の下に生まれたクレンペラーは、ベルリンで音楽を学び、1905年にマーラーの『交響曲第2番「復活」』の上演で舞台裏の楽団を指揮して、この先達の面識を得る。その後、マーラーの推薦を受けた彼は各地の歌劇場で指揮をしながら名声を高め、1927年にベルリンのクロル歌劇場の音楽監督に就任。ここで、ヒンデミット、ヤナーチェク、シェーンベルク、ストラヴィンスキーによるオペラなど、新しい音楽を熱心に取り上げた。1933年にナチスが政権を握ると、クレンペラーはドイツを出国し、オーストリアなどを経てアメリカに渡る。同年、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任したクレンペラーだったが、いくつかの病が重なったこともあり、同国でのキャリアは波乱に満ちたものとなった。戦後はヨーロッパの音楽シーンに復帰して各地でコンサートを行い、1947年にはハンガリー国立歌劇場の音楽監督に就任するが、ハンガリーの独裁的な政権と対立し、1950年にはその職を辞している。しかし、1952年、イギリスのレコードプロデューサーでフィルハーモニア管弦楽団の創立者でもあったウォルター・レッグのオファーを受けてEMIと契約すると、ベートーヴェンをはじめとするドイツの古典派やロマン派の楽曲を中心に次々とレコーディングを行い、世界的な名声を得ることになった。後年のクレンペラーは落ち着きのあるゆったりとしたテンポで知られたが、それ以前の録音を聴くと彼が非常に速いテンポでも優れた表現をしていたことが分かる。いずれにせよ、クレンペラーが持っていたリズムのアーティキュレーションに対する類いまれなセンスは、常に演奏に説得力を与えており、また、楽曲の本質を明らかにする表現力と表裏一体のものだったといえるだろう。

出身地
Breslau, Germany
生年月日
1885年5月14日
ジャンル
クラシック
国または地域を選択

アフリカ、中東、インド

アジア太平洋

ヨーロッパ

ラテンアメリカ、カリブ海地域

米国およびカナダ