桑田佳祐

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桑田佳祐について

日本のポップカルチャーを映し出す巨人として君臨する、桑田佳祐。そのソロ活動に視点を置くと、サザンオールスターズとは違った音楽への向き合い方が見えてくる。1987年秋、シングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』でソロデビュー。表題曲はモータウンポップを下地にした華やかなアレンジの楽曲であり、ソロ活動を通して多くのリスナーに親しまれる代表曲の一つとなる。翌年のファーストアルバム『Keisuke Kuwata』には楽曲ごとにさまざまなサポートミュージシャンが参加し、小林武史や藤井丈司らが共同プロデュース。桑田はこの後、サザンオールスターズの活動と並行してソロ活動を行い、小林武史はサザン作品のプロデュースにも携わることになる。1993年以降、「Act Against AIDS(AAA)」のコンサート活動にも積極的に関わるようになる。セカンドアルバム『孤独の太陽』(1994年)では、セルフプロデュースのもと、アコースティックサウンドを基調にした深く内省的で赤裸々な作風を披露。『Keisuke Kuwata』期の華々しいポップサウンドとは一線を画しており、大きな注目を集めた。翌1995年にはAAAの一環として、桑田佳祐&Mr.Children名義によるチャリティーシングル『奇跡の地球』を発表。フィジカルシングルとしては期間限定生産だったものの、楽曲は後のベストアルバム『TOP OF THE POPS』(2002年)にも収録されている。2001年のシングル曲「波乗りジョニー」や「白い恋人達」以降は、その音楽的バックグラウンドと経験値を総動員させたポップサウンドを志向し、ソロ活動においてもサザンオールスターズと同等に日本のポップミュージックをリードする存在となる。2002年にはオリジナルアルバム『ROCK AND ROLL HERO』とベストアルバム『TOP OF THE POPS』の連続リリースがあり、またライブにおいても、サザンオールスターズの活動に関わってきた片山敦夫や斎藤誠らをサポートに迎え全国ドームツアーを繰り広げるなど、表現の機会とスケール感を拡大していった。2007年の「明日晴れるかな」「風の詩を聴かせて」「ダーリン」といったシングルの連続リリースも、それぞれに大きなヒットを記録する。2010年には、食道がんによる体調問題で音楽活動を一時休止、療養に専念した。しかしその年の後半には早々に音楽制作を再開し、「第61回 NHK紅白歌合戦」にも出演。翌2011年2月には、延期されていた通算4作目のソロアルバム『MUSICMAN』を発表し、復活を印象付けることになる。東日本大震災を受けての活動の一環として、同年9月には宮城県仙台市で2日間のアリーナライブを開催、被災地の映画館では抽選招待制のパブリックビューイングも行われた。そもそもは海外のロック/ソウルの影響が色濃いソングライティングや歌唱法で知られた桑田だったが、次第に日本の伝統芸能や歌謡曲に対する研究の成果が現れ、2017年のアルバム『がらくた』の時期には、極めて洗練された日本語ポップスの境地へと到達している。

出身地
Japan
ジャンル
J-Pop
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