最新リリース
- Mozart: Piano Concerto No. 23 K. 488; Piano Sonata K. 333 · 1987年
- ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲 Op. 61 · 1981年
- Chopin: Piano Concertos Nos. 1 & 2 · 2002年
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必聴アルバム
- ベートーヴェンの多くの楽曲が音楽の歴史を変える革新性を持っている。1806年に初演されたベートーヴェン唯一のバイオリン協奏曲であるOp.61も同じく、“バイオリン協奏曲”という形式に対する認識とスケールを大きく変革する作品だった。第1楽章の約25分間という演奏時間は、モーツァルトのほとんどのバイオリンコンチェルトの全楽章がすっぽり収まる長さだ。もちろん、ポイントは曲の長さだけではない。この作品は協奏曲でありながら交響曲的な壮大さを持ち、作品全体で重厚感のある音楽的メッセージを発している。おそらくこれはロマン派の作曲家による最初の偉大なバイオリン協奏曲といえるもので、この歴史的名作の真価は、1981年にレコーディングされてグラモフォン・アワードを受賞したイツァーク・パールマンのバイオリンとカルロ・マリア・ジュリーニの指揮による本作からも余すところなく伝わってくる。パールマンは彼らしいスタイルと優れたセンスによって情感にあふれたドラマティックな演奏を披露し、ジュリーニも絶妙なパートナーぶりを発揮している。これこそ一流のパフォーマンスだ。
アーティストプレイリスト
- 指揮者界のイタリアの巨匠。歌手マリア・カラスとの共演などでも知られ、オペラと交響曲の両方で活躍。
- 2011年
カルロ・マリア・ジュリーニについて
オペラと交響曲を主なレパートリーとしたイタリア出身の指揮者カルロ・マリア・ジュリーニは、同時代に活躍した独裁的な傾向を持つ指揮者たちとは一線を画す、温厚で誠実な人柄そのもののキャリアを歩んだ。1914年にバルレッタで生まれたジュリーニは、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で学んだ後、第2次世界大戦中に徴兵されて従軍。しかし、反ファシズムの信念から軍を離脱して9か月間にわたって潜伏生活を送り、終戦を迎えた。1944年、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団を指揮してデビューを飾ったジュリーニは、37歳にしてミラノ・スカラ座の首席指揮者に就任し(在任期間は1953〜1956年)、顧みられることのなかったレパートリーも多く紹介。1955年にはソプラノのマリア・カラスと共にヴェルディの『La Traviata(椿姫)』の歴史的なレコーディングを行った。ジュリーニはさらに、モーツァルトの『Le nozze di Figaro(フィガロの結婚)』と『Don Giovanni(ドン・ジョヴァンニ)』の録音(それぞれ1959年と1961年にレコーディング)で国際的な名声を高めていく。しかし、我が強い演出家や歌手たちに嫌気がさし、次第にオペラから交響曲へと重点を移すようになったジュリーニは、シカゴ交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン交響楽団などに客演し、ベートーヴェンやブルックナー、マーラーなどによる大作交響曲も手掛けた。1978年から1984年まではロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督も務めている。高い精神性に裏打ちされたジュリーニのアプローチは若い音楽家たちの尊敬を集めると同時に、彼らに大きな影響を与えた。また、協調性を重んじた彼は、権威的になることを避けるため、一つのポストに長く居続けることをほとんどしていない。1990年代まで活動を続けたジュリーニは、2005年に91歳でこの世を去った。
- 出身地
- Barletta, Italy
- 生年月日
- 1914年5月9日
- ジャンル
- クラシック