100 Best Albums
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- 2003年2月6日
- 19曲
- Get Rich or Die Tryin' (Bonus Track Version) · 2003年
- ザ・マッサカー~殺戮の日。 · 2005年
- No.6 Collaborations Project · 2019年
- ザ・マッサカー~殺戮の日。 · 2005年
- ザ・マッサカー~殺戮の日。 · 2004年
- ザ・ドキュメンタリー · 2004年
- Get Rich or Die Tryin' (Bonus Track Version) · 2003年
- All About You · 2010年
- Get Rich or Die Tryin' (Bonus Track Version) · 2003年
- Curtain Call 2 · 2022年
必聴アルバム
- アルバムのカバーアートに写った姿はスーパーヒーローのように見えるが、50セントによる2003年リリースのデビューアルバム『Get Rich or Die Tryin’』は長いラップの歴史の中でも突出した存在感を放つスーパーヴィランの、原点のストーリーと呼ぶべきものだ。もともと50セントはRUN D.M.Cのジャム・マスター・ジェイの下で基礎を学んでいて、Columbia Recordsと契約を結んで1999年にリリースした「How to Rob」で注目を集めたが、2000年にクイーンズの祖母の家の前で9発の銃弾を浴びて瀕死(ひんし)の重傷を負ってしまった。この銃撃事件の影響などもあってレーベルとの契約も失った50セントだったが、銃撃で負った傷からの回復後には自身が率いるG-Unitクルーと制作した伝説的なミックステープがシーンで大きな話題となり、何食わぬ振る舞いでストリートをサバイブする存在として、大いに箔(はく)が付くという結果になった。 正式なデビューアルバムをリリースする時点で、既に50セント自身はパワーの面でもリソースの面でも準備万端の状態だった。「In Da Club」はパーティーにうってつけだったし、「Many Men (Wish Death)」は9発の銃弾を浴びても生き延びたことをラップした壮大なボースティングだ。スーパーヴィランなら誰でもそうだが、50セントにも宿敵がいた。それはチャートを席巻していたジャ・ルールで、「Back Down」で痛烈な一撃を与えた。数年前に注目を集めたものの、その後は鳴りを潜めていたアーティストとしては上々だったといえるだろう。
アルバム
- 2009年
- 2005年
アーティストプレイリスト
- ストリートから一気にメジャーへ。大御所ラッパーに見出されたその才能を知る。
- クイーンズ育ちのラッパーが、音楽業界を制するまでの軌跡をビデオ作品で追う。
- 2000年代初頭にブレイクしたハードコアラッパーのスキルのルーツをたどる。
- タイトなラップで人気のハードコアラッパーの確かなスキルを存分に味わう。
- ハードコアなスタイルで強烈な存在感を放つ人気ラッパーの影響力の大きさを探る。
- 2018年
- Alonestar, Skyla Sheeran & rion s
- Don Q & エイ・ブギー・ウィット・ダ・フーディ
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50セントについて
2003年、ヒップホップは過渡期にあった。やけに艶っぽいうわべだけのものになってしまっていたヒップホップに対抗できる者が必要とされていた。そこに現れたのが、50セントことCurtis Jacksonだ。1980年代から1990年代のヒップホップを築いたアイコンたちはすでに新しい世界に進んだか、ノトーリアス・B.I.G.や2Pacのように他界していた。このクイーンズ生まれのラッパーは、ヒップホップシーンにおける最新の悪役として登場したのだった。恐れ知らずでバトルへの準備万端のこのMCは、型破りな方法で足跡を残すことを望んだ。その良い例が、彼のファーストシングル「How to Rob (feat. The Madd Rapper)」だ。有名R&Bシンガー、大物ラッパー、ハリウッドの大スターたちの座を略奪することを夢見るという内容の物議を醸す曲だった。もう誰も安全ではなかった。彼は、キャリアを通して威張った態度を取り続けたが、そうした振る舞いがいつも彼の利益になるわけではなかった。2000年、50セントは駐車した車の中で9発の銃弾を受ける。その年にリリースを予定されていたアルバム『Power of The Dollar』は、この事件を受けて棚上げにされた。そして傷が癒えると、彼は音楽を作り、失敗した契約から立ち直ることを誓った。そして、プロデューサーのTrackmastersやトゥルー・マスター、 ノッツのビートをフィーチャーしたコンピレーションアルバム『Guess Who’s Back?』を発表する。それがエミネムの目に留まり、50セントはエミネムのShady Recordsと契約を結んだ。その1年後の2003年、インタースコープとドクター・ドレーのレーベルAftermath Entertainmentとの共同契約を通して、『Get Rich or Die Tryin’』をリリース。「Wanksta」「In da Club」「P.I.M.P.」といったシングルでの彼のゆるく生意気なフロウは、シーンに衝撃を与え、50セントをスターにした。彼は競争心の強いキャラクターを生かしてテレビ番組『POWER/パワー』をプロデュースし、2020年に6シーズンで終了するまで驚異的な成功を収めた。現代を生きるための優れたスキルとビジネスの才覚を持つ50セントは、確かに悪役としてキャリアを開始したかもしれない。だが、彼はヒーローになったのだ。
- 出身地
- Queens, NY, United States
- 生年月日
- 1975年7月6日
- ジャンル
- ヒップホップ/ラップ