ドクター・ドレー

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ドクター・ドレーについて

1994年にドクター・ドレーが初めてグラミー賞を受賞(「Let Me Ride」がベストラップソロパフォーマンスを獲得)した際には、ラップがメインストリームで真剣に取り沙汰されるとは到底考えられていなかった。ラップが不人気だったわけではない。その数年前の1991年には、ドレーも主要メンバーの一人だったN.W.A.が『Efil4zaggin』で、ハードコアラップグループとして初めて全米アルバムチャート1位に輝いていたのだから。だがグラミーのような権威からのお墨付きという点では、ラップはまだ反動的な流行としか見られていなかった。ラップは刺激的でスキャンダラス、そして何よりアメリカのメインストリームからすれば、過ぎ去って欲しいと願う存在だった。ドレー(1965年コンプトン生まれ、本名Andre Young)は世間の意識にヒップホップの立ち位置を確立しただけでなく、ヒップホップそのもののボキャブラリーも変えた。初期のラップはDJがリアルタイムでレコードから音を抜き出してループさせる“ブレーク”に乗せたものが中心だったのに対し、ドレーがサウンドプロダクションを手掛けたN.W.A.のアルバム『Straight Outta Compton』(1988年)や、1980年代半ばから末にかけてエリック・Bやリック・ルービン、The Bomb Squadらが手掛けたサウンドは“サンプラー”の時代を告げ、より濃密で、よりハードで、よりサンプリングネタが満載の作品を生み出した。1992年の『The Chronic』(およびスヌープ・ドッグの『Doggystyle』)がリリースされるころには、ドレーは生演奏の楽器を効果的に取り込むことで大好きなファンクをフレッシュに再現する新たな音像へと移行し、1970年代のブラックミュージックから現代に続く音楽の系譜を描いた。そしてどんなときにも粘り強さと楽しみを忘れないというメッセージは、人種暴動に揺れ、長年にわたり都会の黒人層に無関心だったアメリカにことさら強く響いた。『The Chronic』を聴くと怒りに駆り立てられるかもしれないが、それと同時にさらに強くなったような気分にもなるはずだ。30歳を迎えるころには、ドレーはすでに業界のベテランになっていた。自分のペースで楽曲を発表し続けただけでなく(1999年に『2001』、その後2015年に『Compton』 )、50セント、エミネム、ケンドリック・ラマーなど、その時代を代表するラッパーのキャリア形成にも一役買った。そして2000年代後半にヘッドフォンブランドBeats by Dr. Dreを立ち上げ、のちにブランドをAppleに売却し、ジェイ・Zやカニエ・ウェストと同じような稀有な領域に足を踏み入れた。つまりヒップホップアーティストとしてだけではなく、ビジネス面でも精力的に活動し、そして成功を収めているのだ。

出身地
Compton, CA, United States
生年月日
1965年2月18日
ジャンル
ヒップホップ/ラップ
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