最新リリース
- 2022年11月25日
- 1曲
- Stadium Arcadium · 2006年
- By the Way · 2002年
- Snow (Hey Oh) - EP · 2006年
- By the Way · 2002年
- Greatest Hits · 1999年
- Californication (Remastered) · 1999年
- Blood Sugar Sex Magik · 1991年
- Californication (Remastered) · 1999年
- Greatest Hits · 1999年
- Return of the Dream Canteen · 2022年
必聴アルバム
- 世界各国でアルバムチャート入りを果たし、それまでのバンド最大のセールスを記録した7枚目のアルバム。脱退したジョン・フルシアンテがDave Navarroに代わってバンドに復帰した作品としても話題を呼び、それまでのハードでマッチョなミクスチャーサウンドにメロディックな面が加わったエポックメイキングな作品でもある。オープニングの"Around the World"や"I Like Dirt"など、レッチリらしい歯切れの良いパンクファンクチューンも散りばめつつ、亡くなったカート・コバーン(ニルヴァーナ)に向けて書かれたというタイトル曲や、2000年のグラミー賞 (GRAMMY®) 最優秀ロックソング賞を獲得した"Scar Tissue"などでにじみ出ていたほろ苦いメランコリアは、次のアルバム「By the Way」にも持ち越されることになる。
- プロデューサーにリック・ルービン、エンジニアにブレンダン・オブライエンを迎え、盤石の体制でレコーディングに臨んだ力作。グラミー (GRAMMY®) の最優秀ハードロックヴォーカルパフォーマンス賞を受賞した"Give It Away"や、バンドにとって初めてのバラード曲となった"Under The Bridge"、パンキッシュな2ビートカントリーにアレンジして、なんと屋外で録音したというロバート・ジョンソンのカバー"They’re Red Hot"のエンディングも楽しい計74分。ハードなファンクチューンだけでなく、後の音楽性を想像させるメロウネスの萌芽も発見でき、ワイルドなミクスチャーバンドとして登場した彼らのユニークな知性が感じられるようになった重要作でもある。
- 2022年
- 2016年
- 2011年
- 2006年
アーティストプレイリスト
- レッチリの愛称でも知られるレッド・ホット・チリ・ペッパーズ。その魅力を凝縮。
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズの世界ツアーで披露されるヒット曲の数々を聴こう。
- パンクとニューウェイブから抽出、ミックスし確立したレッド・ホット・チリ・ペッパーズのサウンド背景。
- ZaneがAnthony Kiedisにバンドのニューアルバム『Unlimited Love』について聞く。
ベストアルバム、その他
レッド・ホット・チリ・ペッパーズについて
“俺たちはハリウッドのキッズ代表/ハリウッドが俺たちの生きる場所だ (We represent the Hollywood kids/Hollywood is where we live)”と、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(以下、RHCP)は1987年の「Organic Anti-Beat Box Band」で宣言した。それから数十年経った現在でも、オルタナティブロックのアイコンとして君臨する彼らは、LAに宿る陽気で怪しげな魅力の全てを音楽の中で体現している。1983年、リードボーカルのアンソニー・キーディス、ベーシストのマイケル・“フリー”・バルザリー、ギタリストのヒレル・スロヴァク、ドラマーのジャック・アイアンズがバンドを結成。彼らのサウンドは、Black Flagの怒りに燃えたハードコアパンクと、パーラメントの官能的なファンクを融合させたようだった。凶暴なエネルギーを放つスラップ・ベース、不条理なユーモア、そしてソックスの戦略的な活用(股間にソックスだけを装着して、全裸でアビイ・ロードの横断歩道を渡るパロディ的なジャケットなど)によって、RHCPは1980年代を通してカレッジラジオの定番曲として親しまれていたが、1988年にスロヴァクが薬物の過剰摂取で命を落とし、続いてアイアンズも鬱病が原因でバンドを脱退。この一連の出来事によって、RHCPのDNAは永久に変わってしまう。その後、筋骨たくましいドラマーのチャド・スミスと神童ギタリストのジョン・フルシアンテのバンドへの加入が功を奏し、ハードにロックした1989年リリースのアルバム『Mothers Milk』がゴールド認定される。オルタナティブ革命が激化する時代の中で、RHCPは1991年の『Blood Sugar Sex Majik』でモッシュピットのキングとして浮上した。一方このアルバムはフリーとフルシアンテのプレイに宿るメランコリックな一面もあらわにし、大ヒットを記録したスローナンバー「Under the Bridge」では、キーディスが自身のつらい過去を清算するための感情を吐き出した。マルチプラチナを獲得した『Blood Sugar Sex Majik』の成功はしかし、フルシアンテをドラッグ漬けの隔離生活へと追い込むことになってしまう。その間バンドはジェーンズ・アディクションのギタリストのデイヴ・ナヴァロを迎えて、活動を継続。そしてクリーンになったフルシアンテが復帰した1999年の大ヒット作『Californication』は、バンドの土台にあったファンクロックサウンドにひねりを加え、厳しい現実を突き付ける教訓のような曲が並ぶアルバムに仕上がった。21世紀に入り、2009年にフルシアンテが多作なソロキャリアに集中するために再び脱退した後でも、彼らはチャートの頂点に君臨し、フェスティバルのヘッドライナーを務め続けた。そしてバンドは、2019年にもう一度フルシアンテを迎え入れる。この事実は、彼の技巧的なスタイルが、バンドに無限の活力を与える特別なスパイスのような役割であることを裏付けたのだった。
- 出身地
- Los Angeles, CA, United States
- 結成
- 1983年
- ジャンル
- オルタナティブ