Beethoven for Three: Symphony No. 4 and Op. 97 "Archduke"

Beethoven for Three: Symphony No. 4 and Op. 97 "Archduke"

ヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコス、チェリストのヨーヨー・マ、そして、ピアニストのエマニュエル・アックスは、ベートーヴェンのすべての交響曲をトリオで演奏するプロジェクトの第3弾として『交響曲第4番』を取り上げた。 『交響曲第4番』は、ベートーヴェンの九つの交響曲の中にあって評価も知名度も一番低いものかもしれないが、ピアニストのシャイ・ウォスネルによる巧みな編曲版をこのトリオが奏でれば、ベートーヴェンの最高傑作の一つであるかのような輝きを放つ。そぎ落とされたスコアの中で、第1楽章冒頭の「Adagio」においては、何かが起こることを予感させるようなダークでドラマチックな趣がより強調され、一転して強烈なアタックと共に「Allegro vivace」へと突入した後の演奏は、限りない喜びを感じさせる。 第2楽章「Adagio」での3人は、壮大な雰囲気を醸し出しながらディテールも美しく照らし出している。彼らのパフォーマンスに含まれる真の力強さと豊かさが、オリジナル版が持つ広大さと深遠さを見事に表現する一方で、随所に見られる輝くような演奏の機微が、ベートーヴェンの作品の魅力を身近に感じさせてくれるのだ。同様のことは、荒々しい「Allegro vivace」の第3楽章や、音楽そのものが止めどないエネルギーで踊り出す終楽章「Allegro ma non troppo」にも言える。このレコーディングは巨大な規模の名作の新鮮な解釈でありながら、まるで新しい室内楽曲のようでもあるのだ。 大規模な編成の作品を小人数で演奏できるよう、2台のピアノのために、オルガン独奏のために、ヴァイオリンとピアノのために、あるいは今回のようなピアノ三重奏のために編曲することは長い間習慣的に行われてきた。19世紀から20世紀の初頭にかけては、このような小編成のためのアレンジは単に目新しさのために用意されたわけではなく、当時のさまざまな事情に対応したものでもあったのだ。録音の技術が発明される前のオーディエンスは、言うまでもなくオーケストラを生演奏で聴くしかなかった。しかし、当時のほとんどの聴衆は、壮大な交響楽をオリジナル版で聴けるような手立てを持っておらず、また多くの人は大きな会場に演奏会を聴きに行ける場所には住んでいなかった。つまり、それらの音楽を室内楽版に編曲することは、より手軽に音楽に触れる機会を作ることであり、また、楽曲に適切な編曲を施せば、聴衆に生のオーケストラに負けないエキサイティングなリスニング体験を与えることもできたのだ。 ヨーヨー・マがApple Music 1のZane Loweに語る通り、このようなアレンジは家庭での演奏会という道を開いた。「親友のエマニュエル・アックスは、誰かがベートーヴェンの交響曲に興味を持ったとしても、もしそれがレコード産業が興る前の1800年代のことだったとしたら、人生でせいぜい2回くらいしか聴けなかったのではないか、と言っています。もっと聴きたければ、2台のピアノやトリオのためのバージョンを自分たちで演奏するしかなかったのです」 またヨーヨー・マは、録音技術の発明を印刷機の登場になぞらえる。「印刷機が登場する前には、文字を読める人が手書きの聖書を読み聞かせていました。それが聖書の内容を知る方法であり、自分の聖書を持っている人はほとんどいなかったのです。エジソンが録音の技術を発明する前の時代には、ベートーヴェンの交響曲を聴く機会も同じように限られていました。だから、自分たちで演奏するしかなかったのです」 本作にはベートーヴェンが1811年に作曲した“大公”こと『ピアノ三重奏曲第7番』も収録されている。壮大さと落ち着き、そしてユーモアを備えたこの作品は、まさにこれら3人の名演奏家たちのためにあるような楽曲だ。彼らの演奏は、この曲が元々は交響曲だったのではないかと思わせるほど力強く、エモーショナルなものとなっている。

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