

「この旅を始めた時には想像もできなかったところに今、いると思う」。メジャーデビュー20周年を迎えたRADWIMPSの野田洋次郎(Vo/G/Piano)はApple Musicに語る。2001年にバンド結成、2005年にシングル「25コ目の染色体」でメジャーデビューした彼らは、みずみずしいギターロックと、ソリッドでありながらもピュアな歌詞が注目され、メジャー初アルバム『RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~』も高い評価を得た。「世の中に自分たちを打ち出すんだと固く決意していた」と、野田はその頃を振り返る。「1年でアルバムを2枚出すとレーベルの人に話したことを覚えています。大学在学中に芽が出なかったら俺はもうバンドを辞めようと思っていたから、その焦りもあった。(インディーズ作も含めて)3作目となったこのアルバムを出した時には悔しさがすごくあって、作り終えそうなタイミングで『立て続けに出すぞ』と言って次の曲に取りかかりました」 20年の歩みを振り返り、武田祐介(B)は2015年頃に大きな転機があったと明かす。「(ドラムの山口)智史が病気で活動休止になり、バンドが一度止まりそうになった。そうならないように曲を作り続けて、曲に導かれながらどんどんレコーディングを進めた記憶があります」。この頃バンドはアニメーション監督である新海誠から依頼を受け、アニメ映画の劇伴制作に初めて挑んだ。さらにメジャー6作目のアルバム『人間開花』(2016年)の制作、野田はソロプロジェクトillionのアルバム『P.Y.L』(2016年)の制作もほぼ同時並行で進めていた。「もうずっとスタジオにいた気がする」と野田は笑う。「あまりにもスタジオ代がかかるから、自分のスタジオを作ることを決意しました。それまでなかなか作れない時期が3年ほどあって、その苦しさを知ったからこそ、自分の中からあふれ出てきているタイミングで、素直にアルバムを出そうと思ったのは覚えています」 RADWIMPSはサウンドスタイルも活動領域も、変えることを恐れずに進んできた。野田は「変わり続けるバンドであることを、たぶんどこかの時点で選んでいた。そう決めた自分にメンバーは必死についてきてくれた」と打ち明ける。その言葉を継ぎ、ふたを開けてみたら自分もそれが嫌ではなかった、と武田が続ける。「俺は最初、ベースならベースを弾いてればいいみたいな変な固定概念があった。でも貪欲にいろんなことを求めて次に進もうとする洋次郎の力はやっぱりすごいなと思って導かれていきました」 「傍若無人にいろんなものを手に入れたいという欲が、またふつふつと出てきている」。20周年という節目を迎え、バンドの原点を見つめ直したという野田は告白する。「RADWIMPSは確実に、聴いてくれる人たちが生かし続けてくれたバンド。そしてその人たちは、俺らが自分たちの望むように音楽をやり続ける姿を応援してくれている。だから、ちゃんとピュアでい続けようという気持ちを今すごく持っています」。ここからは野田と武田に、いくつかの代表曲を解説してもらおう。 05410-(ん) 野田洋次郎:自分と数字みたいなものの親和性をずっと感じていて、(タイトルや歌詞に)数字を使うのはRADWIMPSの特徴になっています。デビュー曲からして「25コ目の染色体」だったし、その先に「最大公約数」という曲も生まれた。「何それ?」って思われそうなのに、先入観なしに受け入れてくれるスタッフに恵まれたことが大きかったと思います。 正解 (18FES ver.) 野田:合唱は学生時代を経験した多くの人たちが経験すること。自分の中にも合唱した時の高揚感が体の中にあったから、いずれは合唱曲の制作にチャレンジしたいと思っていました。そして2018年に、『18祭』というイベントで18歳1,000人と共演する機会をもらったんです。最初は「万歳千唱」だけを歌うつもりで進めていたけど、一緒に演奏するならどうしても合唱曲が必要じゃないかといてもたってもいられなくなってこの曲を作り始めました。自分が作った曲というより、世の中に絶対的に必要な曲を宿命として生み出したような、たまにそういう使命感みたいな感覚で曲を作ることがあります。この曲はまさにその不思議な感覚がありました。 愛にできることはまだあるかい 野田:新海さんから依頼をもらって、なんとなく手探りで映画音楽を作り始めたけど、オーケストラとやるのはさすがに無理かなみたいな思いもあった。でも楽器が何であろうと音楽と自分という関係性は変わらないはずで、まったく分からないオーケストラの世界も探求してみたくなりました。自分も小さい頃にヴァイオリンをやったことがあって、全然芽が出なくてやめたけど、その時のかすかな記憶がつながってくる感覚もあり、オーケストラの譜面を作る上でそれがすごく生きた。そんなふうに音楽は、苦しいけど楽しい、未知の世界をずっと提示してくれるから、本当にありがたいことです。 おしゃかしゃま 野田:この曲が収録された『アルトコロニーの定理』(2009年)というアルバムでは、大いなる脱皮をしたと思います。3、4作目のアルバムは恋愛の要素が強くて、そこでRADWIMPSの一つのイメージが確立された感じがして、新しい自分たちを探求している時期だった。一度できあがったイメージを次の作品で壊していくというバンドの方向性は、この頃に見えた気がします。 五月の蝿 武田祐介:この曲が収録された『×と○と罪と』(2013年)の時期は、制作環境としてコンピュータをどんどん導入していった時期。自分たちでDTMを使って、シンセサイザーなどバンド以外の音を積極的に取り入れて、どんどんスケールの大きなサウンドにしていった分岐点になるのかなと思います。 野田:通算5作目の『アルトコロニーの定理』ではすごく苦しみながら歌詞を書き、そこで歌詞を書くことを引き受けて、通算7作目『×と○と罪と』でやっと自分の中で言葉と音の自由さが合致したような感覚があった。心と言葉をつなぐ方法みたいなのを見つけて、ここでバンドが一つの円熟期を迎えた感じがあります。