

昭和の歌謡史を語るとき、この2人組の存在は外せない。クッキーという名前で活動していたミーとケイの2人は、オーディション番組の出場を経て、デュオ名をピンク・レディーに変更。1976年8月に"ペッパー警部"で念願のプロデビューを果たす。同曲は当時としてはかなり速いリズムと凝った展開で、彼女たちの激しいダンスと共に注目の的に。その後も"UFO"や"サウスポー"などミリオンセラー級のヒットを連発し、瞬く間に国民的人気スターとなる。1979年にはアメリカへ進出するものの、翌年に帰国。1981年3月31日、後楽園球場でのコンサートをもって解散した(その後、活動を再開)。多くの代表曲を阿久悠(作詞)と都倉俊一(作曲)が手掛けており、親しみやすいメロディラインにコミカルな歌詞、きらびやかなサウンドで作り上げた楽曲の数々は、歌謡曲というジャンルの多様化を促進し、後進にも大きな影響を与えている。