オノ・ヨーコ

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オノ・ヨーコについて

オノ・ヨーコは1960年代に名を広めて以来、他に類を見ない独創的な表現者であり続けてきた。革新的なアバンギャルドのアイコンとして、揺るぎない平和の擁護者として、またはメディアを横断する先進的なアーティストとして、その才能は多岐にわたる。1933年に東京で生まれ、クラシックのピアノと声楽を習い始めた彼女は、第2次世界大戦の空襲を生き延びて1945年に東京を離れる。その後1953年にアメリカへ移住し、1960年代になるとニューヨークに定住した。後に夫となり音楽のパートナーにもなるジョン・レノンと出会うころには、すでに実験的なアートのパイオニアとしての地位を確立していた。彼女がレノンと共作した作品は、ジャンルの境界線を押し広げる影響を与えた後期ビートルズの楽曲を含めて型破りなもので、特に1969年のプロテストソング「Give Peace a Chance」のような行動主義で注目を集めた。その一方で、1968年にホテルのベッドルームで録音された「リメンバー・ラヴ」は、聴く者を秘密のささやきに聞き耳を立てるような気分にさせる繊細なサウンドで、親密な関係性を赤裸々に表現したことでも話題となった。また、彼女のソロ作品では、一連の反抗心が彼女のボーカルスタイルによって勢いを増して貫かれている。時には激怒し(感情が爆発する1970年の「ホワイ」)、時には凶暴になり(とどろきわたるような1973年の「ウーマン・パワー」)、そしてアメリカの不正を厳しく告発するフォーク調の1973年の「ナウ・オア・ネヴァー」のように、希望を見せる場合もある。1980年12月にレノンが殺害された2か月後の1981年、オノは彼が撃たれた時に持っていたテープに録音されていた曲「Walking On Thin Ice」をリリースし、それは彼女にとって最初で最後のポップヒットになった。また、ジャンルを超えて完全に自分自身であり続けるという彼女の才能は、これまでに数え切れないほどの作曲家やノイズメイカー、ライオットガールたちを鼓舞してきた。そして彼女を信奉するコラボレーターが集結したリミックスアルバム(2007年の『Yes, I’m a Witch』など)は、彼女の幅広い影響力にふさわしいトリビュート作品であるだけでなく、愛と平和を追い求める彼女のメッセージを新しい世代へ伝えるためにもぴったりの作品であることを証明してみせた。

出身地
Tokyo, Japan
生年月日
1933年2月18日
ジャンル
ロック

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米国およびカナダ