ボブ・マーリー & ザ・ウェイラーズ

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ボブ・マーリー & ザ・ウェイラーズについて

1981年に他界して以来、笑顔でマリファナを吸う平和活動家としてのイメージが広がる一方で、ボブ・マーリーが大きな怒りを抱えていた側面については忘れられがちだ。「Small Axe」では植民地主義を、「Them Belly Full (But We Hungry)」においては貧困を、「Get Up, Stand Up」では政治的行動権の必要性、そして「Burnin’ and Lootin’」ではその行使の課題について、彼の音楽は正義感と挫折感をもって訴えかけた。そのスピリットは彼自身が世界に広めたレゲエと同様に、パンクロックの精神の象徴にもなった。彼は政治的立場を曖昧にしていたが(政治と教会は人々を無知なままにさせておくという意味でほぼ同じだと語ったことがある)、それはその潜在的な可能性のためではなく、彼を苦しめた独裁政治や権力者の強欲によって政治制度がねじ曲げられてきたからだった。もしもボブ・マーリーの音楽が耳に心地よく響いて踊りたくなるとしたら、それは、かつて彼の広報を務めたヴィヴィアン・ゴールドマンが述べたように、メロディで引き付けることができるならば、メロディと共に自分の主張がリスナーの胸に届くということが分かっていたからなのだ。1945年にキングストンから約1時間半の郊外にあるナインマイルという村で生まれたマーリーは、10代後半にピーター・トッシュやバニー・ウェイラーと共にザ・ウェイラーズを結成し、R&Bを基にした陽気なスカに厚みを付けてリズミカルな本物のレゲエサウンドを作り出した。彼はジャマイカとの強固なつながりを持つと同時に、彼が作った音楽にはファンク(「I Shot the Sheriff」「No More Trouble」)やソウル(「No Woman, No Cry」「Redemption Song」)、さらにディスコ(「Could You Be Loved」「Exodus」)など、さまざまなブラックミュージシャンのスタイルとの対話関係があった。そしてレゲエとは、彼の中にあるそれらのエッセンスを一つの形に集約したものだったと言っていい。マーリーは、1978年の『Kaya』、そして1980年の『Uprising』における、よりスムーズでポップ寄りのサウンドに落ち着いてからも切迫感や闘争心を失わず、その姿は何世代ものアーティストを刺激して、音楽が優れた娯楽である一方で、もっと大きなものを伝える手段にもなり得ることを伝えたのだった。

ジャンル
レゲエ
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