

松本隆:プロデューサー
Apple Music
松本隆ははっぴいえんどの解散後、まずはプロデューサーとしての仕事を始めている。その第一歩は自身もドラマーとして参加するムーンライダース(当時の表記)の立ち上げだったが、このバンドはライブを行ったのみで、自身は脱退することになる。「その後は(鈴木)慶一にタッチして、彼が引き継いで本物のムーンライダーズになっていくんだけど。結果だけ見たら、僕が作ったようなものだから、すごいなと思う(笑)」と、彼はApple Musicに語る。その次には当時の気鋭の才能たちと深く関わり、プロデュース作品を世に送り出していく。「1枚は南佳孝で『摩天楼のヒロイン』、もう1枚はあがた森魚の『噫無情(レ・ミゼラブル)』。あと岡林信康の『金色のライオン』と『誰ぞこの子に愛の手を』と、その4枚を作って、それで結果的に食えなかったの(笑)。毎日仕事して、みんなが素晴らしいと言うアルバムを作っても食えないんだなと思った」。そこで1974年ごろから本格的に作詞家に転身し、やがて多数のヒットソングを放つ人気作家となっていった。ただ、当初からシンガーの世界をトータルで捉えて歌詞を書いてきた松本にはプロデュースという形で深く関わったアルバムも多く、松田 聖子の諸作はその代表的なものといえる。そしてこうした作品群にも、彼が紡ぐ言葉の叙情性は鮮やかに生きている。