

1980年代初頭、ニューウェーブに片足を突っ込んだパンクバンドの東京ブラボーで活動していた高木完は、ニューヨークで出会ったヒップホップに衝撃を受け、藤原ヒロシとタイニー・パンクスを結成。その活動で日本にヒップホップを伝えるパイオニアとなると、クラブ・ミュージック・レーベルのメジャー・フォースの創立メンバーとしてスチャダラパーや ECD を世に送り出し、シーンの確立を促した。ファンクやR&Bを感じさせるブレイクビーツはもちろん、クラブ・ジャズ、フォーク、ヘヴィー・ロック、パンクなどなど、多様な音楽を飲み込んだ雑食性の高いミクスチャー・ヒップホップは今聴いても色褪せることがない。