

1886年に、医師でキリスト教伝道師だった父の下に生まれた山田耕筰は、日本における本格的なクラシック音楽の黎明(れいめい)期において、作曲家、指揮者として重要な役割を果たした。少年時代には教会の音楽指導者だったイギリス人の義兄に西洋音楽の手ほどきを受け、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)で声楽を修めた後は、ベルリン高等音楽学校で作曲を学んだ。留学中には日本人作曲家による初めての交響曲となった『かちどきと平和 へ長調』を書いている。帰国後は指揮者として日本に管弦楽やオペラを根付かせる演奏活動を行う一方で、多くの優れた楽曲を世に送り出していった。その中には、篳篥(ひちりき)と管弦楽のための作品である『交響曲「明治頌歌」』や、長唄を取り入れた『長唄交響曲「鶴亀」』など、日本の伝統音楽のエッセンスをクラシックの様式の中で輝かせることを目指した意欲的な作品もある。また、日本語の響きを生かした「からたちの花」などの歌曲や「赤とんぼ」などの童謡は、現在でも広く親しまれている。