

10代半ばにフィラデルフィアでプロデビューし、若い頃のデューク・エリントンと共演。Andy Kirk 楽団でピアノ奏者、編曲者として活躍する一方、ベニー・グッドマン楽団などにも作品を提供して名声を高めた。1940年代に彼女が住んでいたニューヨークのアパートは、ディジー・ガレスピー、タッド・ダメロン、セロニアス・モンクなど、彼女が後に影響を与えることとなった当時の若手ミュージシャンのサロンのような場であった。1957年にはデイジー・ガレスピー・グループのメンバーとしてニューポート・ジャズ・フェスティバルに参加。1981年にこの世を去るまで精力的に作品を発表し続け、アメリカのジャズピアノの潮流を作った。