はじめての メラニー・ボニス

はじめての メラニー・ボニス

女性が作曲家として立つことが受け入れられにくかった時代のフランスにおいて、あふれんばかりの創作意欲で多くの優れた楽曲を生み出した。メラニー・ボニスは、1858年にパリで生まれた。両親は音楽を好まず、ボニスは隠れるようにしてピアノを独習した。そんな彼女の楽才を知った作曲家セザール・フランクは、両親の反対を押し切ってボニスをパリ国立高等音楽院に入学させる。そのフランクの指導の下、彼女はすぐに作曲の才能を発揮した。しかし、彼女のキャリアは、両親に押し付けられた相手との不幸な結婚によって妨げられる。1883年に結婚生活が始まってから何年もの間、ボニスは家事と子育てに追われ、作曲から離れてしまう。ところが、彼女を音楽の世界に引き戻す出来事が起こった。かつての恋人であり、詩人で編集者、Amédée-Landély Hettichとの再会である。ボニスは学生時代と同じようにHettichの詩に曲を付ける形で歌曲を作り、彼の手助けで作品を出版するようになった。私生活での苦難は続いたが、彼女は自身の憂うつに対抗するかのように創作意欲を燃やし、ロマン派的なものから印象派風のものまで、あまたの曲を書いた。作品を発表する時、彼女はメル・ボニスという筆名を使った。それは作曲者が女性であることを知られることで起こる、さまざまな弊害を避けるためだった。

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