はじめての パウル・ヒンデミット

はじめての パウル・ヒンデミット

グレン・グールドに“天才的な才能”と称賛され、ピアノ曲から管弦楽曲、オペラ、映画音楽、放送音楽まで、幅広いジャンルに多くの作品を書き、また、オーケストラに存在するほとんどの楽器を独奏楽器とした協奏曲やソナタを遺した作曲家。1895年にドイツのハーナウで生まれたパウル・ヒンデミットは、幼い頃から父親の下で音楽教育を受け、ホッホ音楽院でヴァイオリンや作曲を学び、ヴァイオリニストとしてキャリアをスタートさせる。その後は、ヴィオラ奏者として活躍しながら作曲に情熱を注いでいった。後期ロマン主義や表現主義から、新即物主義、新古典主義へと作風を移行させる一方、“音楽のための音楽”を作るのではなく、音楽と聴衆との関わりを重要視し、社会に資する実用的な音楽を生み出すことに価値を見いだしていく。代表作の一つである『Symphony “Mathis Der Maler”』は1934年に初演されると大成功を収めたが、ナチスの批判にさらされたヒンデミットは母国を離れ、後半生をスイスやアメリカで過ごした。1963年に亡くなって以降の数十年間は、作品が取り上げられる機会が少なかったが、20世紀の終盤以降はその多才さと高い創造性が再び高い評価を受けている。