

「創作したり、音を奏でる時の衝動は、ロックもクラシックもまったく変わらないですね」。くるりの岸田繁は、自身初の弦楽四重奏作品集となるアルバム『岸田繁: 弦楽四重奏作品集 第1巻 (Live at Kyoto Art Center, 2025)』についてApple Musicに語る。本作は2025年6月に京都芸術センターで行われた『岸田繁×Style KYOTO 管弦楽団~個展~』の模様を収録した実況録音作品。この公演では、京都の若手奏者たちが、岸田が手掛けた弦楽四重奏曲や、くるりの楽曲「奇跡」を主題にした変奏曲などを演奏した。 「子どもの頃から家で父親が爆音でかけるクラシックのレコードを聴いていました。チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ベートーヴェンなど、重厚なものが多かった」と岸田は自身のクラシックの原点を振り返る。父親に連れられて、地元の京都市交響楽団の公演にもたびたび足を運んだという。「年末にベートーヴェンの『交響曲第9番』を聴きに行き、その後一杯飲み屋におでんを食いに行くという一連の流れがあって、子どもながらも一杯飲み屋に行けるのが楽しみで仕方なくて(笑)。そうして何度も聴くうちに、第九の良さがちょっとずつ分かってきた。最後に歌われる『歓喜の歌』のフレーズを第1楽章から探す旅のような構造になっていることにハッと気付いたり、自分の原体験になりました」 そしてもう一人、少年時代の岸田に強い影響を与えたのが、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズなどを手掛けた作曲家のすぎやまこういちだった。「すぎやま先生の音楽はまるでクラシックの幕の内弁当のようで、元ネタを探す楽しさにめっちゃハマりました。フィールドを歩く時の勇壮な曲はワーグナーのようで、戦っている時はストラヴィンスキーみたいだなとか、聴くだけで豊かな音楽体験ができる。それがなければ、今ここにいなかったと思います」 青年になった岸田はくるりを結成し、ロックバンドの枠にとどまらない多彩な作品を生み出していった。ところが2006年頃、バンドを続けることへのモチベーションが激しく低下し、一時は辞めることすら考えたという。その迷いの中で訪れた音楽の都、ウィーンがクラシック音楽への道を示したと岸田は明かす。「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地、楽友協会でモーツァルトのシンフォニー40番と41番を聴いてたまげました。今まで聴いていたのは音楽じゃなかったかもと思うくらいの衝撃だった」。その衝撃から、クラシックの響きを含んだ「ブレーメン BREMEN」や「ジュビリー JUBILEE」といったくるりの楽曲が生まれた。その一方で、岸田は指をけがしてギターを弾けない時期があり、代わりにMIDIで打ち込みによる楽曲制作を始め、それがクラシックの作曲へとつながった。程なくして映画の劇伴を手掛けたり、京都市交響楽団にオーケストラの書き下ろし曲を依頼されたりとクラシックに縁の深い出来事が続き、「全部がけがの功名という感じ」と岸田は笑う。 岸田のクラシック音楽の制作方法は独特だ。通常は譜面から書き始めるところを、彼はまずDTMで打ち込みのデモ音源を作る。それを基に簡単な譜面を起こし、さらに譜面に詳しい人と共に修正を重ねていく。「クラシックは楽譜が本当に大事。そこは郷に入っては郷に従えで、いい楽譜をしっかり仕上げたい。ただそれを多くの人に聴いてもらうことを考えた時、音源を作ることは大事なミッションだと思いました」。そう考えた岸田は、本アルバムの制作に際し、録音芸術としてのロック/ポップスの手法も応用した。「マイキングはいつも一緒に仕事をしているエンジニアさんにお願いして、アンビエンスにはかなりこだわりました。実はエディットも共同制作者の人と細かく作り込んでいます。ポップスのように大胆なピッチ補正などはしないけど、一瞬だけリハーサルのテイクに差し替えたり、2公演分の音源を織り交ぜたりもしています」 クラシックを専門的に学んだ経験もなく、楽譜を書くのも苦手だという岸田。だが、異なるジャンルから来た自分だからこそ生まれる考え方や姿勢があると感じている。「楽曲を作るのは自分だけど、苦手な譜面の作成は誰かと一緒にやってみて、その人が編曲の素晴らしいアイデアを出してくれたら作品に取り入れていく。このスタンスは2010年代に、チャンス・ザ・ラッパーやジェイムス・ブレイクのような既存の価値観を刷新するアーティストが出てきた時の感覚に近いかもしれない。自由な発想で、でも芯はぶれることなく作品の可能性を広げることが、ここ10年くらいの命題です」。つまり本作は、オルタナティブな音楽家として歩み続ける岸田繁による、真にオルタナティブなクラシックアルバムだといえるだろう。そしてその響きは、世界に向けて、これまで誰も開けたことのない新しい扉を開く。