- 思いきり気障な人生 · 1977年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[3] · 1984年
- いくつかの場面 · 1975年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
- STRIPPER · 1981年
- ヤマトより愛をこめて - Single · 1978年
- 今度は、華麗な宴にどうぞ。 · 1978年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH[2] · 1981年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
- ROYAL STRAIGHT FLUSH · 1979年
必聴アルバム
- 昭和後期の歌謡界きってのシンガー “ジュリー” こと沢田研ニが最高に輝いていた時期のアルバム。 "勝手にしやがれ" "憎みきれないろくでなし" "サムライ" "さよならをいう気もない" とシングル・ヒットを4曲収録している。まさに彼が時代の寵児だった頃の作品で、オリジナル・アルバム中では最大のセールスを残すこととなった。全10曲の楽曲スタッフはすべてが作詞・阿久 悠、作曲・大野克夫、編曲・船山基紀という黄金のトリオで構成。唄い手の沢田は、さながら、そうした熟練の演出・脚本家たちによる映画の主役を演じているかのようだ。どの楽曲もドラマチックだが、年上の女性との甘く切ない恋であったり、微妙な関係を迎えた男女の別れ際を描いたような曲が多いのは、危うさを漂わせる29歳当時の沢田の魅力に依ったものだろう。ブラスやストリングスを使用した派手なアレンジに乗るその歌声には色艶があり、それでいてしなやか。ていねいで繊細な表現力も素晴らしい。彼のセクシーなたたずまいとトンガった感覚が絶妙なバランスで歌に還元されていた時代の逸品である。
アーティストプレイリスト
- ジュリーの名で親しまれる、日本のポップ史に新たな歴史を刻み込んだスーパースター。
- ライブを彩るロックナンバーや素直な思いをつづる自作曲で、魅惑の世界を追う。
- 燃え上がるような恋、命を懸けるほどのひたむきな愛。時代を映した多彩な恋愛観に浸る。
- 1984年
ベストアルバム、その他
沢田研二について
昭和後期の歌謡界を代表するシンガーとして、スーパースターの座に君臨した沢田研二。日本レコード大賞に輝いた「勝手にしやがれ」(1977年)を筆頭に、「危険なふたり」(1973年)、「時の過ぎゆくままに」(1975年)、「TOKIO」(1980年)、「ストリッパー」(1981年)など、彼のヒット曲は時代を彩ったものばかりである。沢田がポップシーンで展開したことの多くにはロックからの影響を垣間見ることができる。元々彼の出発点は、グループサウンズブームで一世を風靡(ふうび)したザ・タイガースのボーカルであり、派手なコスチュームやパフォーマンスは彼自身がファンを公言するミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイなどのロックミュージシャンを意識することも多かった。沢田の主戦場はあくまで歌謡曲で、その舞台はテレビや映画、雑誌などではあったが、そうしたフィールドにロックという世界のユースカルチャーを揺るがせた価値観を持ち込み、アグレッシブに表現し続けた姿勢は高く評価されていい。その過程における際どい衣裳や歌唱中のポーズなど、常識を果敢にひっくり返そうとする反骨心は音楽シーン全体に刺激を与えたはずだ。“ジュリー”の愛称で呼ばれ、ステージでフェミニンな装いを見せることもあった彼。その根底には硬派な生き方が脈打っている。1980年代からは自作曲も増え、2002年に自らのレーベルをインディーに移し、より独自の活動を模索。2008年には東京と大阪のドーム球場で全80曲、6時間半に及ぶ驚異的なライブを敢行した。また、2018年から2021年までのステージ活動は、盟友ギタリストの柴山和彦との2人だけで行っている。わが道を突き進む負けん気の強さ、そして歌の輝きは、歳を重ねても何一つ失っていない。
- 出身地
- Japan
- 生年月日
- 1948年6月25日
- ジャンル
- 歌謡曲