沢田研二
沢田研二

沢田研二

沢田研二について

昭和後期の歌謡界を代表するシンガーとして、スーパースターの座に君臨した沢田研二。日本レコード大賞に輝いた「勝手にしやがれ」(1977年)を筆頭に、「危険なふたり」(1973年)、「時の過ぎゆくままに」(1975年)、「TOKIO」(1980年)、「ストリッパー」(1981年)など、彼のヒット曲は時代を彩ったものばかりである。

沢田がポップシーンで展開したことの多くにはロックからの影響を垣間見ることができる。元々彼の出発点は、グループサウンズブームで一世を風靡(ふうび)したザ・タイガースのボーカルであり、派手なコスチュームやパフォーマンスは彼自身がファンを公言するミック・ジャガーやデヴィッド・ボウイなどのロックミュージシャンを意識することも多かった。沢田の主戦場はあくまで歌謡曲で、その舞台はテレビや映画、雑誌などではあったが、そうしたフィールドにロックという世界のユースカルチャーを揺るがせた価値観を持ち込み、アグレッシブに表現し続けた姿勢は高く評価されていい。その過程における際どい衣裳や歌唱中のポーズなど、常識を果敢にひっくり返そうとする反骨心は音楽シーン全体に刺激を与えたはずだ。“ジュリー”の愛称で呼ばれ、ステージでフェミニンな装いを見せることもあった彼。その根底には硬派な生き方が脈打っている。

1980年代からは自作曲も増え、2002年に自らのレーベルをインディーに移し、より独自の活動を模索。2008年には東京と大阪のドーム球場で全80曲、6時間半に及ぶ驚異的なライブを敢行した。また、2018年から2021年までのステージ活動は、盟友ギタリストの柴山和彦との2人だけで行っている。わが道を突き進む負けん気の強さ、そして歌の輝きは、歳を重ねても何一つ失っていない。

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