尾崎豊
尾崎豊

尾崎豊

尾崎豊について

日本のポップミュージック史に残るシンガーソングライター、尾崎豊。生前の彼はその歌とカリスマ性によって“若者の代弁者”または“10代の教祖”と呼ばれた。

彼は早熟の天才だった。高校3年生の時に停学処分を下されたことが引き金となってレコード会社のオーディションを受けるに至り、合格を果たす。18歳になったばかりの1983年12月、プロデューサーの須藤晃と共に作り上げたデビューアルバム『十七歳の地図』をリリースした。デビューシングル「15の夜」を筆頭に、ロックンロールのタイトル曲「十七歳の地図」、美しいバラードの「I LOVE YOU」に「OH MY LITTLE GIRL」、「僕が僕であるために」など名曲がそろっている。これらの楽曲には、恋愛はもちろんのこと、自由を求める思いや自分自身の揺れ動く感情など、若者のリアルな姿が活写されている。尾崎にはやんちゃな学生生活を送ったエピソードもあるが、このデビューの頃には、自身の鋭い感受性を楽曲に昇華させるソングライティング力を身に付けていた。

やがて高校を自主退学した彼は、同級生が卒業式を迎える3月にワンマンライブを行う。はみ出さないこと、他人と横並びでいることを強要された学生時代の経験は、程なくロックバラード「卒業」に結実する。1985年1月にリリースされたこのシングルは大ヒットを記録し、待ち望まれた2作目のアルバム『回帰線』もセールスチャートのトップに躍り出て、尾崎は一躍、時代の象徴となった。エネルギッシュなライブにはファンが押し寄せ、マスコミも彼を追うといった、まさに社会現象に近いほどの人気を博した。この熱狂は、10代最後の日にリリースした3作目『壊れた扉から』の時期まで続いた。

しかしその人気に背を向けるように渡米し、ブランクの後に帰国して活動を再開させた彼は、徐々に自身のイメージを変えていく。過去の作風からの脱却を目指し、歌う内容も愛や罪といった大きなテーマに移行していった。ただ、この頃には私生活の混乱があり、体調が不安定な上に不祥事を起こすなど、活動がたびたび停滞している。1992年にこの世を去った尾崎にとっては6作目の『放熱への証』が最後のオリジナルアルバムとなった。

振り返れば、オリジナルの楽曲は全部で71曲と、決して多くはない。それでも、喜びも悲しみも、戸惑いも苦悩も書き留めた楽曲の数々は、彼が疾走した日々の記録そのものといえる。そしてその歌は時を隔ててもなお、多くの人々の心に感動を呼んでいる。

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