エクトル・ベルリオーズ

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エクトル・ベルリオーズについて

ベルリオーズは、偉大な先達が作り上げた伝統的な作曲技法や様式にとらわれず、独自の発想によって音楽を生み出した作曲家だ。彼は1803年にフランス南東部のイゼール県に生まれ、開業医だった父の下で教育を受けた。父は後を継がせるべく10代終盤のベルリオーズをパリに送って医学を学ばせるが、少年時代から独学で楽器や作曲を試みていた息子は、医師ではなく作曲家になることを決意し、パリ国立高等音楽院に入学する。1827年、ベルリオーズは、シェイクスピアの舞台に出演していたアイルランド出身の俳優ハリエット・スミスソンに激しい恋心を抱く。しかしスミスソンに拒絶されたベルリオーズは、その失恋体験を基に名作『Symphonie fantastique(幻想交響曲)』を1830年に書き上げた。同年に初演されたこの作品が好評を博したことで作曲家の名前は広く知られることとなり、その3年後にベルリオーズは晴れてスミスソンと結婚することができた(スミスソンは1854年に亡くなり、ベルリオーズは歌手のマリー・レシオと再婚する)。ベルリオーズはその後も、『Requiem (Grande Messe des morts)』(1837年)やシェイクスピアを題材にした交響曲『Roméo et Juliette』(1839年)でさらに名声を高めた。1840年代から1850年代にかけてのベルリオーズは指揮者として幅広く活躍しながら、オーケストラと独唱、合唱のための『La damnation de Faust(ファウストの劫罰)』(1845年)やオラトリオ『L’enfance du Christ(キリストの幼時)』(1850年-1853年)などの大作を書いている。しかし、ウェルギリウスによる壮大な叙事詩『The Aeneid(アエネーイス)』を題材にした大作オペラ『Les Troyens(トロイアの人々)』(1856年-1858年)の全曲上演がかなわず、意気消沈したベルリオーズは、以後多くの作品を生み出すことはなく、1869年に亡くなった。

出身地
La Côte-St.-André, Isère, France
生年月日
1803年12月11日
ジャンル
クラシック

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