ジョージ・マイケル

ジョージ・マイケル

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ジョージ・マイケルについて

ワム!として活動していた1980年代初頭、ジョージ・マイケルは女の子たちを叫ばせるために、バドミントンのシャトルをショートパンツに差し込んだりしていた。決してその必要があったわけではない。当時の女の子たちは、ワム!が歯を磨く姿を見ただけでも叫んでいたはずだ。その呪縛は、それから何十年も続くこととなる。ソロアーティストとしてのマイケルは、遊び心がありながらも真面目で、エロティックでありながらも健全なソウルシンガーであり、その生々しいセクシュアリティが、スイートな精神を圧倒することは決してなかった。性的なシンボルとして人々をあおる一方で、彼は看護師のために無料コンサートを開催したり、ホームレスのシェルターで匿名のボランティアをしたりしたほか、偏見を捨て始めたばかりの文化の中で、LGBTQ+の人々に対する世間の認識を再構築することに貢献したゲイのアーティストでもあった。アルバム『Faith』の矛盾について問われた際には、誰かを死ぬほど愛しながら、同時に相手の服をはぎ取りたいと思うことの何が悪いのかと疑問を呈した。マイケル(本名Georgios Panayiotou)は1963年にロンドンにて、ギリシャ系キプロス人のレストラン経営者とイギリス人のダンサーの間に誕生した。子どもの頃は、派手なファッションと演劇性を、シンガーソングライターならではの率直な感情表現とブレンドした、デヴィッド・ボウイやエルトン・ジョンのようなアーティストに夢中だった。10代後半にはアンドリュー・リッジリーとワム!を結成し、ポップシーンを代表する存在に。1987年にはソロデビュー作『Faith』をリリースした。1970年代のソウルとコンテンポラリーダンスミュージックを融合したこの作品は、白人のソロアーティストによるアルバムとして初めてR&Bチャートを制した。1990年には『Listen Without Prejudice』をリリースし、1990年代を通してレコーディングとツアー活動を続行。だが、その傍らで、セックスシンボルとしてのステータスに反抗し、プロモーションビデオへの出演を拒否したことを理由に、Sony Recordsと法廷闘争を繰り広げた。最後のスタジオアルバムとなったのは、2004年にリリースされた『Patience』。マイケルは2016年のクリスマスに死去した。生前は、主に子どもやHIV/AIDSに関連する幅広い慈善活動に従事していたが、より親密な親切心の持ち主としても知られており、ウェイトレスが友人に嘆いているのを耳にして、学生ローンから解放してあげたこともあった。

出身地
East Finchley, London, England
生年月日
1963年6月25日
ジャンル
ポップ
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