最新リリース
- Merry Christmas - Single · 2021年
- Goodbye Yellow Brick Road (40th Anniversary Celebration / Super Deluxe Edition) [2014 Remaster] · 1973年
- Elton John · 1970年
- Cold Heart (PNAU Remix) - Single · 2021年
- Honky Château (Bonus Track Version) · 1972年
- Goodbye Yellow Brick Road (2014 Remaster) · 1973年
- Hold Me Closer - Single · 2022年
- トゥ・ロウ・フォー・ゼロ+3 · 1983年
- The Lion King (Original Motion Picture Soundtrack) · 1994年
- The Lockdown Sessions · 2021年
必聴アルバム
- エルトン・ジョンがオスカー獲得。臨場感あふれる空間オーディオで魅力を再発見。
- 本作の大半は、エルトン・ジョンとバーニー・トーピンのコラボレーションで築き上げられた。コンセプトアルバムであり、“Brown Dirt Cowboy(薄汚いカウボーイ)” の役を担うバーニーと、”Captain Fantastic"を演じるエルトンの、キャリア初期にもがき苦しんでいた頃をテーマとしている。独自の自由自在なスタイルを追求し、ミュージックシーンをのし上がっていく様を音楽が反映しているのだ。“Someone Saved My Life Tonight”や“Curtains”などの壮大なバラードと、気取ったハードロックの“(Gotta Get a) Meal Ticket”、フィラデルフィア精神を歌った“Tell Me When the Whistle Blows”など幅広いサウンドが混在するが、バンドのタイトなサポートと天性のメロディックなスタイルでアルバムとして上手くまとめ上げている。リマスターバージョンの本作では、ボーナストラックとして“Philadelphia Freedom”と“Lucy in the Sky With Diamonds”、さらに1975年のオリジナルリリース直前に作られた、ジョン・レノンが作詞を手掛けたB面ナンバー“One Day at a Time”も収録。
- 過小評価されているこの1974年の本アルバムは、ド派手なパーティーソング「あばずれさんのお帰り」で幕を開けながら、心地よいサウンドの変化を次々と遂げていく。アコースティックギターとピアノで奏でる愛のバラード「ピンキー」があれば、ギターを効かせたポップロックの名曲「グリムズビー(美しき故郷)」もあり、ひねりを加えたカントリーミュージック「デキシー・リリー(ショーボートが川を行く)」や、未知との遭遇を描いた映画的な曲「空飛ぶ円盤」までそろっている。暴力をテーマにした「ティッキング(母さんの言葉)」は考えされられるピアノの弾き語り曲で、アルバムの目玉となる「僕の瞳に小さな太陽」(ビーチ・ボーイズのメンバー2人がバックボーカルで参加)では、極上のハーモニーに乗せて裏切られた恋人の切ない嘆きがつづられる。エルトンはここで、失恋バラードを高揚感のある壮大なナンバーや拳を突き上げるロックソングと見事に調和させながら、当時のロックンロールの境界線がどこにあるのかを試してみせた。
- キャリア初期の3年という短い間に、セカンドアルバム『Elton John』の「Your Song」や、『Madman Across The Water』に収録されている「Levon」といった曲での流麗なオーケストレーション、そして『Honky Château』の「Honky Cat」や、『Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player』収録の「クロコダイル・ロック」ではバーの喧騒を重ねてその音楽性を飛躍的に広げたエルトン・ジョンが、自身の音楽的衝動をすべて結集すべき時が来たことを確信した一作。当時、LPにして2枚組のボリュームとなった『Goodbye Yellow Brick Road』は、ほとんど気まぐれのような折衷主義に驚かされながらも、エルトン・ジョンが選んだ道にはどんな道にも付いていくオーディエンスからの信頼を確固たるものとした。その結果、キャリアのピークに輝く本作は、商業的にも批評家筋からも賞賛され、まるでベストヒット集のように見えるトラックリストが印象的なアルバムとなった。 「Funeral for a Friend / Love Lies Bleeding」で幕が切って落とされる本作のオープニングは、エルトン・ジョンの初期のキャリアと、絢爛(けんらん)たる帝国時代のスケッチとも言えそうな仕立てで、その音楽的振れ幅の広さに、タッグを組む作詞家、バーニー・トーピンが手掛けたハリウッド映画的な歌詞を融合させている。ラジオフレンドリーな同曲の展開は、マリリン・モンローへのセンチメンタルなトリビュート「Candle In the Wind」へと続き、そのまま「Bennie and the Jets」で、エルトン・ジョンならではの完璧な華やかさを爆発させる。他にも哀愁を帯びたタイトルを持つ「Saturday Night’s Alright for Fighting」をはじめとして、本作からは多くの曲がスタンダードになったが、注目に値しない曲は1曲もなかったという方が正しいだろう。それは『Goodbye Yellow Brick Road』のために集められた価値ある素材の豊かさも同時に伝えている。
- そのファッションセンスにも劣らないほどに野心的な、"ロケットマン"のヒット曲。
- 英国が誇るピアノマン/エンターテイナーの数々の名曲とその軌跡を映像で。
- 50年にも及ぶ音楽活動を通じて生み出された歴史に残る恋歌。
- エルトン・ジョンが選ぶ、家で過ごす時に大切にしているアップビートなナンバー。
- 彼の偉大な才能に導かれたアーティストは数え切れない。
ライブアルバム
ベストアルバム、その他
- 1995年
- 1992年
- Taron Egerton & Elton John
- Bright Light Bright Light
ラジオ番組
- ミュージックレジェンド、エルトン・ジョンが明かすお気に入りの音楽。
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エルトン・ジョンについて
エルトン・ジョンの人気が絶頂期だった1970年代、熱に浮かされたような生活を送っていた彼は眼鏡デザイナーのデニス・ロバーツに巨大なメガネを特注した。電池式のライトが57個も埋めこまれ、「ELTON」の文字の形をした彫刻のようなメガネにかかった代金は、なんと5000ドル。現在の金額に換算すれば2万5千ドル相当の代物である。ジョンは世間をあっと言わせようとした。これだけでもすごい話だが、それだけではなかった。彼の“やり過ぎ感”は日常茶飯事だったが、ラインストーンをちりばめ、派手な衣装をまとった古き良きハリウッドを思わせる風貌の魅力が、ジェンダーの境界がなくなりつつある新時代にフィットした。そして羽飾りの下には、長年活動を共にする作詞家バーニー・トーピンと手掛けたジョンの音楽があった。まっすぐで、気取らず、どんな境遇のリスナーにも寄り添うようなロックンロールが。たとえ歌詞の意味がはっきり分からなくとも(名曲「Tiny Dancer」に登場するダンサーの正体は誰で、どうしてそんなに小さい(=tiny)のか、など)、歌われている感情はダイレクトで普遍的だった。本人いわく、1973年に『Goodbye Yellow Brick Road』をリリースするころには、朝食時に何曲か作り、昼前にはそれらのレコーディングを終えるほどのスピードで曲を書き上げていたという。しょせんポップミュージックなんだから、とジョンは言う。あれこれ頭を悩ませるようなものじゃない、そんなことしたってどうにもならないよと。しかしふたを開けてみれば、彼の曲は50年経った今も歌い継がれているのだ。1947年、イングランドのピナ―で生まれたエルトン・ジョン(本名Reginald Dwight)は幼くしてピアノを弾き始め、王立音楽院の奨学生として勉学に励む傍ら、ジェリー・リー・ルイスやリトル・リチャードを夢中になって聴いた。ピアノを弾くだけでなく、“ビートを刻む”彼らの動きにジョンは圧倒された。そして15歳からはパブで演奏し始め、20歳を迎えたころに、音楽雑誌のメンバー募集欄で作詞家のトービンと知り合った。楽あれば苦あり、浮き沈みも経験した。1975年、バリウムの錠剤をひとつかみ飲んだ後プールに飛び込んだこともあった。彼いわく、廃れかけていた流行に便乗してディスコアルバムを作ったこともあった。だがジョンは騒乱の1970年代も再構築の1980年代も生き抜き、傷だらけになりながらも、決して打ちのめされることなく乗り越えてきた。ゲイカルチャーのアイコンで、エイズ活動家にして慈善活動家。英国王室からナイトの称号を授かり、2児の父親でもある。デビューアルバム『エンプティ・スカイ (エルトン・ジョンの肖像)』から50年近く経った2018年、彼は数年にわたる引退ツアーをスタートさせ、2019年には初の自叙伝『Me』を出版した。そして、Apple Music 1の番組『Rocket Hour』のホストDJであり、グラミー賞、アカデミー賞、ブリット・アワード、トニー賞、アイヴァー・ノヴェロ賞といった、数えきれないアワードの受賞者であるエルトンは、エリザベス2世から授けられたナイトの称号に加えて、2020年にはコンパニオンズ・オブ・オーナーの勲章を授与されている。
- 生年月日
- 1947年3月25日
- ジャンル
- ポップ