エルトン・ジョン
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エルトン・ジョン

エルトン・ジョンについて

エルトン・ジョンの人気が絶頂期だった1970年代、熱に浮かされたような生活を送っていた彼は眼鏡デザイナーのデニス・ロバーツに巨大なメガネを特注した。電池式のライトが57個も埋めこまれ、「ELTON」の文字の形をした彫刻のようなメガネにかかった代金は、なんと5000ドル。現在の金額に換算すれば2万5千ドル相当の代物である。ジョンは世間をあっと言わせようとした。これだけでもすごい話だが、それだけではなかった。

彼の“やり過ぎ感”は日常茶飯事だったが、ラインストーンをちりばめ、派手な衣装をまとった古き良きハリウッドを思わせる風貌の魅力が、ジェンダーの境界がなくなりつつある新時代にフィットした。そして羽飾りの下には、長年活動を共にする作詞家バーニー・トーピンと手掛けたジョンの音楽があった。まっすぐで、気取らず、どんな境遇のリスナーにも寄り添うようなロックンロールが。たとえ歌詞の意味がはっきり分からなくとも(名曲「Tiny Dancer」に登場するダンサーの正体は誰で、どうしてそんなに小さい(=tiny)のか、など)、歌われている感情はダイレクトで普遍的だった。本人いわく、1973年に『Goodbye Yellow Brick Road』をリリースするころには、朝食時に何曲か作り、昼前にはそれらのレコーディングを終えるほどのスピードで曲を書き上げていたという。しょせんポップミュージックなんだから、とジョンは言う。あれこれ頭を悩ませるようなものじゃない、そんなことしたってどうにもならないよと。しかしふたを開けてみれば、彼の曲は50年経った今も歌い継がれているのだ。

1947年、イングランドのピナ―で生まれたエルトン・ジョン(本名Reginald Dwight)は幼くしてピアノを弾き始め、王立音楽院の奨学生として勉学に励む傍ら、ジェリー・リー・ルイスやリトル・リチャードを夢中になって聴いた。ピアノを弾くだけでなく、“ビートを刻む”彼らの動きにジョンは圧倒された。そして15歳からはパブで演奏し始め、20歳を迎えたころに、音楽雑誌のメンバー募集欄で作詞家のトービンと知り合った。

楽あれば苦あり、浮き沈みも経験した。1975年、バリウムの錠剤をひとつかみ飲んだ後プールに飛び込んだこともあった。彼いわく、廃れかけていた流行に便乗してディスコアルバムを作ったこともあった。だがジョンは騒乱の1970年代も再構築の1980年代も生き抜き、傷だらけになりながらも、決して打ちのめされることなく乗り越えてきた。ゲイカルチャーのアイコンで、エイズ活動家にして慈善活動家。英国王室からナイトの称号を授かり、2児の父親でもある。デビューアルバム『エンプティ・スカイ (エルトン・ジョンの肖像)』から50年近く経った2018年、彼は数年にわたる引退ツアーをスタートさせ、2019年には初の自叙伝『Me』を出版した。そして、Apple Music 1の番組『Rocket Hour』のホストDJであり、グラミー賞、アカデミー賞、ブリット・アワード、トニー賞、アイヴァー・ノヴェロ賞といった、数えきれないアワードの受賞者であるエルトンは、エリザベス2世から授けられたナイトの称号に加えて、2020年にはコンパニオンズ・オブ・オーナーの勲章を授与されている。

  • 出身地
    Pinner, Middlesex, England
  • 生年月日
    1947年3月25日

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