RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~

RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~

「メジャーデビューアルバムということで、とても気合が入っていましたし、必死だった」。RADWIMPSの野田洋次郎(Vo/G/Piano)は2006年に発表したサードアルバム『RADWIMPS 3 ~無人島に持っていき忘れた一枚~』についてApple Musicに語る。メンバーがまだ高校生だった2001年に結成されたRADWIMPSは、バンドコンテストへの出場やライブハウスでの活動を通して頭角を現した。2005年にメジャーファーストシングル「25コ目の染色体」を発表すると、圧倒的なまでに純粋で率直な表現に魅了されるリスナーが続出し、メジャー初のアルバムに対する注目度は加速度的に高まっていった。当時彼らは20歳。期待とプレッシャーを一身に受けて制作に臨んでいたと野田は振り返る。「僕たちの“存在意義”みたいなものを詰め込もうと格闘した記憶があります。それまでのレコーディングのやり方を一新し、バンド楽器全体のベーシックのテイクをライブ的に同時に録音する“一発録り”の手法でレコーディングした初めてのアルバムでした。今聴くと粗削りではありますが、大いなる意志と、野望と、純粋さがあふれた面白いアルバムだなと思います」 RADWIMPSはここから日本のロックシーンを代表する存在へと成長していくが、2006年当時はまだその名が世間に浸透しているわけではなかった。ただ、彼らの音楽に触れた人たちは熱っぽくRADWIMPSの魅力を語り、ライブハウスではティーンを中心にしたオーディエンスが胸をいっぱいにして彼らの楽曲を共に歌っていた。「セプテンバーさん」「最大公約数」など、その後ライブの定番曲になった楽曲も多く収録された本作について、ここからは野田に全曲の解説をしてもらおう。 4645 デビューアルバム1曲目ということで、とても迷った挙げ句に選びました。当時はまだメロコア、パンク的なバンドにたくさん影響を受けていて、その点も感じられる楽曲だと思います。デビューする5年前、RADがスタートした高1の頃、僕はオアシスなどのUKロック、他のメンバーはHi-STANDARDやGOING STEADY、The Offspring、Green Dayなどの洋邦パンクをたくさん聴いていました。RADの前身となるバンドの高1での初ライブもThe OffspringやHi-STANDARDをコピーしていた。そういった青さを持つメロコア精神が詰まっています。 セプテンバーさん メジャーデビューを発表するライブを2005年9月3日に横浜BLITZで行い、この日の記念に作ったのが「セプテンバーさん」です。バンドアレンジは固めたのですが、いかんせん歌詞を完成させるのが遅い僕。当日までに歌詞は完成せず、ところどころ即興で歌唱しました。「君が笑える理由なら 僕が見つけてきてあげる こんな僕らを繋ぐのは きっとなんでもないセプテンバー」、ここの歌詞だけをその日ライブに足を運んでくれたお客さんに伝えたくて歌ったのを覚えています。 イーディーピー ~飛んで火に入る夏の君~ デビューしてからの2曲目のシングル。デビュー曲が「25コ目の染色体」というバラード寄りの楽曲だったので、バンドの持っている幅やスタンスを表現したくてこの曲をリリースしました。歌詞に意味を求められすぎることへの不満や抵抗もあった。今聴いても意外に面白い曲だなと個人的に思います。 閉じた光 「ルートを弾かないベースのフレーズの曲を作りたい」、最初はそんな入り口で作り始めた曲。武田(B)が出してきたあの冒頭のフレーズからアレンジを広げていきました。今聴いても歌詞やメロディにとても苦労した跡がうかがえる。迷い、模索してる様がありありと歌詞の中に描かれている気がします。「すっからかんのころんのすってんころりんちょんのポンって名前で生まれてきたかったです」、どんな思考の果てにここにたどり着いたんだろう。不思議。 25コ目の染色体 僕らのデビューシングル。今考えればそこまでキャッチーさもなく、長く、捉えづらいこの曲をデビュー曲にした僕らに何の文句も言わなかった当時のスタッフの気概に感謝です。今振り返っても、「ここ、こうしたら?」「こんな曲書いたら?」といった修正依頼やオーダーは一度としてありませんでした。それだけ僕らのクリエイティブを放任してくれて、それでこういった少し不思議なタイトルの、不思議な曲でデビューすることができたんだと思います。生物の授業、テストの点数は良くなかったけれど好きな題材はいくつかあって、染色体もその一つでした。デビュー後も生物に関する歌詞はちらほら出てくる気がします。 揶揄 ジャズのエッセンスを持った曲は絶対にデビューアルバムに必要だと感じていました。デビューから何曲か実験で作ってはいましたが、この「揶揄」で一つラッドらしいジャズ即興的楽曲の基礎ができた気がしました。音に引っ張られて辛辣(しんらつ)なキャラクターが自分の中から表出し、楽しんで歌詞を書いた気がします。手応えをすごく感じたのを覚えています。 螢 幼少期に住んでいたテネシー州のナッシュビル。そこでは夏になると無数の蛍が庭一面に飛んでいて、とても幻想的な景色でした。素手でいくらでもつかめるくらい。イントロの音のフレーズなど、あの光景から曲はスタートしたんだと思います。また、音楽の可能性をスタジオであれこれと試す中で変拍子のリズムを実験したりしていました。Aメロの4拍子からサビでの8分の6拍子への移行。それを違和感なく、さらにバラード曲として成立させたい。音楽的にはそんな挑戦でした。 おとぎ 少しずつ日本語曲が増えていた中で英語詞で挑みたいと思った曲。日本語で歌うと陳腐になってしまう言葉が、英語にすることでどこかリアリティある言葉になったりする。そんな曲です。歪みギターいい音してる。ギブソンの335の歪みギターの音が大好きです。 最大公約数 数字、数学がずっと好きで歌詞にも度々登場します。この曲はそんなRADのイメージを最初に印象付けた曲だと思います。最小公倍数、最大公約数を授業で初めて習った時、この最大公約数というものがとても優しく愛しい考え方だなと思った。「同じ」でなくとも「共通の約数」を探す。そこにすごく可能性を感じ、曲にしました。 へっくしゅん インディーズ時代に作った曲。ミクスチャーロックも全盛だった当時、自分たちなりにミクスチャーを解釈して作りました。もちろん粗削りながら、ところどころ面白い発想は多い。当時の歌詞はまだまだ父親や世間に対する直接的な怒りに満ちていて、懐かしく思ったりします。 トレモロ たしか最初は自分なりの「メロコア」を目指して作り始めた気がします。でもアレンジしていったらどんどん変わっていった。冒頭もギターの逆再生とかを生まれて初めて試したら楽しくなって採用した記憶があります。「満天の空に君の声が」という冒頭の歌詞は誤用で、文法的には「満天の星に君の声が」でなければいけないはず。でもメロディが求めている言葉がどうしても「満天の空」で、このまま進めたのを記憶しています。今でもいろんな人が歌ってくれて、それが不思議と違和感なく受け入れられていて、感謝です。 最後の歌 とてもシンプルに、僕が歌を歌う理由みたいな曲。いろんな感情に飲み込まれてつい忘れてしまう大事なことを、ちゃんと覚えておきたくて作った歌。本当に悲しいくらい、自分は忘れっぽいから。たぶん初めてピアノを演奏して(めちゃくちゃ下手)録音した曲。久々に演奏してみたいです。

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