Out of Time (2016 Remaster)

Out of Time (2016 Remaster)

R.E.M.にとっては、1991年の『Out of Time』や同作からの意外なヒットシングル「Losing My Religion」が、あれほどまでに自分たちの人生を変えるとは思いもしなかった。「カイリー・ミノーグのアルバムを作ってるような人かマックス・マーティンでもない限り、ヒット作の影響なんて分かるはずもない」と、ベーシストのマイク・ミルズは、リリースから30年経った今、Apple Musicに語る。「『Losing My Religion』は、はっきりしたコーラスが一つとしてない、マンドリンがメイン楽器の5分間の曲だ。そんな曲がヒットするなんて予想できるわけがない。分かりようがなかったから、とにかく出してみたのさ」 1980年代の大半にわたって、ジョージア州アセンズ出身のオルタナティブロックバンドである彼らは段階的な成功を思うがままに満喫していた。特に1988年の『Green』は彼らをインディーヒーローからメジャーレーベルアーティストへと進化させたアルバムだったが、1年に及ぶ過酷なツアーで疲弊しきった彼らは、キャリアを棒に振ると見なされる行為であるにもかかわらず、長い休暇が必要だと強く主張した。その決断は『Out of Time』の全ての音に大きな影響を与えることになる。「僕たちは自由を味わってたんだと思う。曲作りの実験をしながら、これまでとは違う方向性にチャレンジできて、なおかつそういう曲をライブで再現する心配をしなくてもいいという自由をね」と、ボーカルのマイケル・スタイプはApple Musicに語る。「思い切ってあらゆることをやってみたんだ」 その自由は、「Radio Song」(Boogie Down Productionsのラッパー、Krs-Oneがカメオ出演)の軽快なファンクから、「Shiny Happy People」(同郷アセンズ出身であるThe B-52'sのケイト・ピアソンがボーカルで参加)の子供じみた妄想状態、「Belong」の光が差し込むようなハーモニー、「Country Feedback」の焼け焦げたアメリカーナまで、アルバムの全編に感じ取ることができる。そして「Losing My Religion」は、R.E.M.がストリングスを取り入れ、ギタリストのピーター・バックが当時まだ独学で習得中だったマンドリンを用いて作曲した曲だ。この曲は即座に彼らのシングルチャートの記録を更新し、グラミー賞を2部門で獲得する世界的大ヒットとなり、その結果、『Out of Time』は1,800万を超える売り上げを記録した。ニルヴァーナの『Nevermind』の数か月前にリリースされたこのアルバムは、当時まさに勃発寸前だったオルタナティブロック革命の最初の兆しだったといえる。その革命はR.E.M.が企てたわけではないにしても、確かなインスピレーションとなった。「レコード会社は保身に走りたがるからね」と、ミルズは言う。「うまくいくと証明されてるから、何もかも決まった通りのやり方をする。期待にそぐわずに、破壊的なことがやれて最高だった。成功する方法は一つだけじゃないんだと、みんなに示すことができたんだから」。ここからは、ミルズとスタイプが『Out of Time』の主要曲のいくつかを解説してくれる。 Radio Song マイケル・スタイプ(以下スタイプ):BDP(Krs-OneがラッパーのBoogie Down Productions)はニューヨークから見事な新風を巻き起こした存在で、彼がアーティストとして打ち出した、あからさまかと思えばさりげなくもあるメッセージには本当に大きな影響力があった。とにかくあの人と共演してみたかった。それで「Radio Song」はどうかってことになって、ぴったりだと思えたんだ。 Losing My Religion スタイプ:ミュージックビデオで口パクするなんてあれが初めてだった。それって自分にとっては、ただただフェイクで馬鹿げたことだったから。絶対に応じなかった。それが「Losing My religion」では考え方を変えたんだ。「やってみるか。このビデオに、Sinéad O'Connorが「Nothing Compares 2 U」でやったくらいの意味や感情を注ぎ込めるかどうかやってみよう」って思った。このビデオのおかげで僕は本当に変わることができて、信じられないほどフェイクなことをやっても、みんながそれはフェイクだと分かっていれば、むしろ現実感を出せると気付いたんだ。 マイク・ミルズ(以下ミルズ):これが大ヒットした実感はあった。ピーターと一緒にヨーロッパでプロモーションツアーをやって、イスラエルのエン・ゲディにあるホテルのディスコに行った時、DJがこの曲をかけたら人々がダンスフロアに突進して、あっという間にいっぱいになったんだ。「この曲に合わせて踊れるの?」って聞いてみたら、DJは「もちろん。みんな聴きたがってるよ、『oh, life』を」って言ってた。曲の歌い出しのその言葉しかちゃんと聴き取れないから、そう呼ばれてたんだ。それでこの曲はいつも「oh, life」ってリクエストされてたってわけ。 Near Wild Heaven ミルズ:R.E.M.にもともとあった強みの一つは、ものすごく才能のあるシンガーが3人いたことだね。「Near Wild Heaven」でのビル(・ベリー)のボーカルは、他のどの要素にも劣らないほど重要だと思う。でもこの曲はなかなか大変な作業だった。マイケルがうまく入れない感じで、壁にぶち当たったようだった。そこに自分が飛び込んで、みんなで一緒に完成させたんだ。R.E.M.の特定の曲を聴いて一番嬉しくなるのは、3人のボーカルの相互作用があるとき。みんなそれぞれが素晴らしいメロディセンスを持っている。3つの歌声はどれも独特で違っていて、それでいてうまく溶け合ってる。この曲は間違いなくその素晴らしい一例だ。 Belong スタイプ:これはあからさまに政治的な曲で、僕たちが突き進んでいく時代を歌ってる。ミュンヘンのホテルの部屋で書いて、あっという間にできたのを覚えてる。天安門事件のニュースを聞いた時の記憶を基にして、中国の反対側に住む女性の物語を書いてみた。一人の母親が窓辺に行って、街の景色を眺めながら、自分の赤ちゃんの未来に待ち受ける世界について考えるんだ。 Shiny Happy People スタイプ:ダイレクトにポップなポップソングという意味では、(1988年の)「Stand」の方がはるかに直接的なメッセージを持ってると思う。でも「Shiny Happy People」も似たような感じではある。まるで子供向けのフルーティなポップソングみたいな。先にバンドのみんなからこんな間抜けな音楽を渡された時に、こう思ったんだ。「これより一歩上を行ってやる。これに歌詞を付けろって言ったのは君たちなんだから、これでどうだ」って。そこからは前進あるのみだった。 Country Feedback スタイプ:この曲は全てが一気に出来上がったのを覚えてる。僕が歌って…確か歌ったのは一度だったと思う、いや2回だったかもしれない。それから部屋を飛び出したんだ。すごくエモーショナルな経験だった。言ってみれば、長年の恋愛関係が破局して、その最後に歌うラブソングのような。すべて消え去って、何も残ってないっていう。あの時、僕自身を試そうとしていて、ラブソングを書こうと自分を駆り立てていた。「Country Feedback」は、それまでバンドで歌ってきた中でも特にダークな曲だったと思う。

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