Odelay

Odelay

1996年に『Odelay』がリリースされる数か月前、ベックは著名なレコードプロデューサーからドライブに誘われたのを覚えている。アルバムを聴いたよ、とそのプロデューサーは言った。「リリースしちゃだめだ。大きな間違いだ。やり直せ。リアルなもの、リアルな曲があるリアルなアルバムを作るんだ」と。 ベックはすっかり意気消沈した。1994年の1作目『Mellow Gold』でカルト的な人気と批評家からの絶賛も集めた彼だったが、まだ確固たる基盤を築いたと言えるには程遠かったからだ。「僕は24歳だった」と、彼はそのアルバムのリリースから25周年のタイミングでApple Musicに語る。「ほとんど一文無しで、このアルバムを作るのに30万ドルくらい使ってしまっていた。この先10年最低賃金の仕事をしながら返済していくんだと思った」 今となっては後の成功物語は周知の事実だが、そのプロデューサーが考えていたことも分からないではない。『Odelay』は過去の鏡、つまり「The New Pollution」では1960年代ポップ、「Sissyneck」は1970年代カントリー、そして「Where It’s At」は1980年代ヒップホップのほこりをかぶったサンプルを使ったキッチュな焼き直しだったのと同時に、断片の寄せ集めで物語を作りながらキラキラしたものに次々と目移りしていくという、注意力が欠如した未来の予兆でもあった。当時はまだ携帯電話も今ほど普及しておらず、スマッシング・パンプキンズやSilverchairといったポストグランジのバンドがラジオを席巻していたが、それから数年もしないうちにゴリラズやファットボーイ・スリムのようなごった煮のアーティストが聴かれ始めるようになる。たった数年で一つの時代が築かれることもあるのだ。『Odelay』はすでに行き先を示していたのに、我々がまだたどり着けていなかっただけだ。 使われ方は実験的でも、素材は昔ながらのありふれた、遠い親戚の叔父さんのお下がりやガレージセールに並んでいるような代物だ。『Odelay』のプロデューサーを務めたThe Dust Brothersと一緒にサンプルを選り分ける作業は、クールなサウンドの発掘だけでなく、カルチャーの考古学の実習でもあったと、ベックは振り返る。あるいは、それは彼の言葉を借りれば、「誰も聴いたことがない、忘れ去られたレコードから、ハーモニーの構造や曲のフック、曲作りのプロセスにもほとんど無関係なところを取り出して、それを中心にして新しい音楽を作ってみよう」という試みだった。 耳目を集めるのは「Devil’s Haircut」の粋なスタイルや「Lord Only Knows」の生意気なユーモアかもしれないが、『Odelay』の核心は遊び心と好奇心であり、半分忘れられて半分無視されたものが、捨てられたがらくた置き場をあっけにとられながらうろつき回って、自分の世界を作り直すことの楽しさだ。有名なアルバムジャケットには、コモンドールという種類のおかしなモップのような犬がハードルを飛び越えようとしている写真が使われていて、偶然にもベックはコモンドールの子犬がいる家の近所に住んでいた。彼はこの写真を最初に見た時には大笑いしたが、自分と似ている気もして胸が痛くなったという。「僕には完全に高過ぎるハードルを飛び越えるという、不可能なことをやり遂げようと必死になってる気がしたんだ」と、彼は当時の心境を語る。「自分が何をやってるのかさえ分からなかった」。そうかもしれない。それでも彼は確かにやってのけたのだ。

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